これなんか大友克洋かと思いません?。
サミュエル・イェスルン・デ・メスキータが1922年に描いたご子息の肖像画で、しかも、木版だそうです。まるで、スクリーントーンを貼ったみたいですが。
メスキータは、1902年から1924年まで、オランダのハールレムにあった応用美術学校で版画を教えていました。そのときの生徒のひとりがM.C.エッシャーでした。
1946年、アムステルダム市立美術館で、戦後初めて開催されたメスキータ作品展の図録に、エッシャーが書いた文章が、今回の図録にも翻訳されて転載されています。
メスキータは、76歳のとき、1944年1月31日から2月1日にかけての夜中、彼の妻や息子と共にリネウスカーデの住まいからドイツ軍によって連れ去られた。三人とも帰らぬ人となり、死への苦難の道のりについては、ほとんどなにもわかっていない。
エッシャーはその2月半ばに、メスキータの家が荒らされているのに気づき、残されていた作品を200点ほどを持ち帰りましたが、すぐに引き返すと、すでに何者かによって施錠されていて、入ることができなかったそうです。
じつは、エッシャー以外にもメスキータが連行されたことに気づいたひとがいて、そのひとたちもまたメスキータの作品を保管しようとしていたということだったようです。
図録の略歴には、画家本人と奥さんのエリザベトは2月11日ごろ、アウシュヴィッツで、息子さんのヤープ{上の肖像画の人)は、3月30日にテレジエンシュタットで死亡したとあります。
余談ですけど、今回のメスキータ展の図録はすごく良い出来だと思います。変わった版型ですが、手に持った感じがすごくしっくりくる。こちらから購入できるみたいなので、展覧会には行けないけど興味あるというかたはどうぞ。
エッシャーについては、以前の展覧会で、晩年に奥さんに離婚され、芸術家のための養老院で、誰にも看取られずに死んだって聞いて、ちょっと寂しい思いをしていたが、若いころには、そんな風に慕うメンターがいたと知って、ちょっとだけ救われる気がする。