『命みじかし、恋せよ乙女』が驚くほどよかったのでご報告

 

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 樹木希林の遺作となったこの映画だけれど、遺作や絶筆がよいとはかぎらないし、ポスターに女ものの浴衣を着ている白人男性が写っていて、大丈夫か、このJAPANな感じはと、躊躇していたが、ちょっとびっくりするほどよかったので、とりあえずご報告する。

 海外の映画で描かれる日本が、私たちに違和感を感じさせる理由はいくつかあると思う。そもそもまったく日本じゃないという場合は論外としても、日本でも有名な役者が出演していて、舞台も確かに日本のどこかでも、どこかに微妙な違和感を感じがちなのは、たぶんそれはそういう映画が日本をdescribeしようとするからだと思う。それについての説明は、永遠にそれ自身でありえないから、日本をあらわそうとし続ける努力それ自身が、必要な蓋然性との間に不気味の谷を刻み込み続ける。

 しかし、この映画はそもそも、日本を描くつもりがまったくないのは、小気味よいほど。だからそこにふつうに日本と日本人が見えるし、同じように、ドイツ人が見える。

 すこしまえに大ヒットしたドイツ映画『ブルーム・オブ・イエスタディ』を思い出してもらうといいかもしれない。ホロコーストを扱いながらラブコメディとして成功したあの映画と同じように、生と死のテーマを扱いながら、この映画も、理想的に可笑しい。

 なぜ、この映画の監督、ドーリス・デリエが、樹木希林に出演を依頼したか、そして、なぜ、樹木希林がそれを受けたかがよくわかる気がする。樹木希林は、いつも、こんな風に人の世の悲しみを軽妙に演じてきた。

 観に行くかどうか迷っていたが、この映画に出会ってよかったと思う。樹木希林の遺作にふさわしい、悲しくておかしい映画だった。

 全く予備知識なしで観に出かけたので、出演者のプロフィールについてもすべてあとから調べたのだが、不思議な日本女性「ユウ」を演じた入月絢の演技は、まるで優れたダンサーみたいだと思ったら、彼女はほんとに国際的なダンサーだった。

 こういう優れた映画の上映館が少ないのは残念だと思う。

 語りだすとキリがなくなってしまうが、『ブルーム・オブ・イエスタディ』でもそうだったが、戦争と親子、戦争と恋愛について、私たちはドイツの人たちと感覚を共有していると思った。

 よく比較される私たちだし、歴史や状況を共有しているとは言えないと思うけれど、無意識の層で、感覚を共有しているのではないかという思いがした。こういう少し不思議な感覚の映画だからこそなのかもしれないが、そう感じた。

 それは、民族と、ひきこもりと、インポテンツの問題で、これらについては、日本人はドイツ人と以外では共有できないか、とも思うほどだ。

 私たちの民族の誇りを深く傷つけたあいつらが、しかし、ほかならぬ私たちの内側にいて、過ちを認めようとしない苦悩と、その苦悩にもかかわらず、お前たちは加害者で、お前たちには苦しみが足りないとあびせ続けられるごもっともな罵倒について、ドイツ人以外の誰に理解を期待できるだろうか。それでいて、もちろん、お互い肩を叩きあって共有できる種類の理解ではない。

 そういう特殊な状況から目をそらさず、作品を作り続けることがユニークであるとすれば、この映画はユニークであり、また、稀有な作品だと思う。

 表現の自由を話題にするとき、何がしかの表現が規制されたかどうかを問題にしがちだが、それは、表現の問題であるよりは、規制の問題にすぎないのではないか。表現の自由は、「何かを見落とさないか」ではないのかと思う。

 茅ケ崎の海の中に伸びていくピンク電話のコードに、表現の、伝えたい思いのただならぬ強さを感じた。


【公式】『命みじかし、恋せよ乙女』8.16(金)公開/本予告

 

 


東京国際映画祭グランプリ作『ブルーム・オブ・イエスタディ』ラース・アイディンガーインタビュー動画