是枝裕和監督の『真実』、台風が来る前に観ました

 いったいこれはどうやって演出したんだろう?、まったく是枝裕和の映画そのものなんだけど、言葉の壁はどうやって超えたんだろうと思ったら、レア・ドゥ・ギムナさんという人の存在が大きかったみたい。

「2014年12月のマラケシュ国際映画祭(モロッコ)で日本映画の特集がありまして、僕は団長として行ったんですが、レア・ドゥ・ギムナさんという女性通訳の方が今までにないぐらいパーフェクトな翻訳をしてくれたんです。僕がいくらしゃべっても一切メモを取らずに訳してくれて。聞くと、日本生まれでフランス育ちのハーフの方で、フランスのナント在住。日本の漫画などをフランスで出版する時に翻訳をしていると。それからずっと、僕の映画のフランス公開の時は字幕や通訳を全部お願いしています。この4~5年、そういう関係が続いていて、彼女がいれば、もしかすると、それほどストレスを感じずにフランスで撮れるかもしれないと思って、このプロジェクトにGOを出したぐらい、彼女ありきなんです」
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 日本の監督にかぎらず、言葉が通じない国で映画を演出するのはかなりのチャレンジで、黒沢清の『ダゲレオタイプの女』とか、アッバス・キアロスタミの『ライク・サムワン・イン・ラブ』とか。
 だから、この『真実』が、いつもどおりの是枝作品だったのに驚いたんだけど、それは、まずレア・ドゥ・ギムナという「あれ?、この人言葉の壁超えてるじゃん」って人との出会いが先にあったのが、いかにも是枝裕和らしい。
 そして、カトリーヌ・ドヌーヴだが、自伝の出版が世界中で取りざたされる国際的大女優といって、顔が思い浮かぶのは、たしかにまずこの人で、ダメ元でオファーしたそうだが、この人なしでは成立しなかった映画だと思う。
 カトリーヌ・ドヌーヴジュリエット・ビノシュイーサン・ホーク、このキャスティングの絶妙さと贅沢さは、カンヌでグランプリを獲ったことが、この映画の実現につながったのだとすれば、カンヌのグランプリ受賞は、この映画のためにあったんじゃないかと思えるほど、賜物というかギフトというか、この映画が撮れたことが、是枝裕和への祝福なんじゃないかと思えるほどだった。
 カトリーヌ・ドヌーヴ是枝裕和の相性がいいってことも、新鮮な驚きだった。先ほどのインタビューでも、公式サイトの監督インタビューを読んでも、カトリーヌ・ドヌーヴとの撮影が如何に楽しかったかが伝わってくる。
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 もともと是枝裕和がどんどん脚本を書き換えていってしまうことは有名で、『ワンダフルライフ』のときも、スタッフだった西川美和の意見で設定を替えているし、『海街diary』では、たまたま訪ねてきていた、元・監督助手の砂田麻美の指摘で台詞を書き換えたり。
 この『真実』の脚本も、日本語で書いてレアさんに翻訳してもらったものを

プロデューサー陣に第一稿を読んでもらった時に、「こういう言い方はしない」「この設定は違う」という意見が出たので、それを受け止めて修正していくという作業をしました。この年齢の子供とは川の字では寝ないとか、フランス人は70歳を過ぎても階段なんか気にしないとか。

 『万引き家族』で樹木希林の意見で設定を変えたように、この映画でもイーサン・ホークに質問されて、

母親に幸せな家族を見せつけるためだとか、彼が実はお酒をやめていてなど、全てイーサンとのやり取りの中で作っていきました。

映画を観た人は分かるだろうが、これはけっこう重要な設定なのに、あとから付け加えたとは信じられないくらいだ。
 こういう是枝監督の作り方を聞くと思い出すのは、ダ・ヴィンチだかミケランジェロだか、彫刻の達人たちを評するのによくいわれることで、彼らの彫る石の中にはすでに像が埋まっているんだ説。設定を変えているというより、どんどん精度が上がっていくってことなんだと思う。
 カトリーヌ・ドヌーヴはそもそも台詞をおぼえてこないから、当日に台詞が変わっても平気。イーサン・ホークは、リチャード・リンクレーター監督との仕事を是枝監督が観て出演をオファーした。『6才の僕が大人になるまで』みたいな6才の子役が18歳になるまで毎年少しずつ撮りつないでいくみたいなことをこなす人なので、むしろ、肌に合う。
 大変なのはジュリエット・ビノシュで、

自分の中に役を落とし込むのに3週間かかるから、前日に台本を直して当日渡すようなことはやめてほしいと言われた

そうなのだが、ジュリエット・ビノシュは、途中であきらめたそうである。
 考えてみれば、奔放なカトリーヌ・ドヌーヴイーサン・ホーク(と加えて、是枝監督)の間で翻弄されるジュリエット・ビノシュ、という撮影現場での関係性は、この映画のなかの役どころにもうまく反映している。カトリーヌ・ドヌーヴイーサン・ホークは、映画の中の役としても俳優で、ジュリエット・ビノシュが脚本家であるのも、その意味でうまい。
 主人公が俳優なわけだから、劇中劇というか、映画内映画がある。これもすごく効いている。映画内映画の主役を務めたマノン・クラヴェルがすごくよかった。彼女の存在が、カトリーヌ・ドヌーヴジュリエット・ビノシュが演じる母子の関係を立体的にしている。

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マノン・クラヴェル(左)クレモンティーヌグルニエ(右)

 マノン・クラヴェルと絡むときとジュリエット・ビノシュとのときでは、カトリーヌ・ドヌーヴは、まるで、違う人になっているような鮮やかさで、そして、そのふたつの間でゆらいでいる感じも、カトリーヌ・ドヌーヴってやっぱり大女優だったんだなって実感した。若いころの映画はそんなに観ていないし、とにかくその美貌に目がいってしまいがちなんだが、是枝監督がインタビューで語っている通り、一瞬、樹木希林の姿が頭をかすめるくらいチャーミングだ。
 カトリーヌ・ドヌーヴ自身にとっても、最近の代表作になりうると思う。
 
 ちなみに、予告編は、ちょっと重苦しく編集しすぎてると思う。監督インタビューにあるように、最近の是枝裕和監督の作品のなかでは軽妙で明るく、観終わった後に暖かみが残る。『海街diary』よりもっとすっきりした感じで、初めて挑戦したフランスでの仕事でむしろ肩の力が抜けているようなのがさすがだと思う。どっちかというと、予告編を作った人の方が肩に力が入っているようだ。