『真実』特別編集版みました

 『真実』の特別編集版が11月1日から公開されてる。横浜みなとみらいのkinoで観た。ちょうど山里亮太若林正恭の「たりないふたり」のライブがランドマークタワーでやってた日だった。すごかったらしいね。「不毛な議論」で聞いたけど、即興で80分も漫才をしたそうだ。M1の漫才が4分ですよ。
 五年ぶりのライブらしいんだけど、お互い忙しくて全然会えないので、いっそのこと、まったく事前に会わずに、まず漫才をつくる打ち合わせのところからお客さんに見せて、そして、漫才本番、そのあと、ふたりで自分たちの漫才をレビューという、これは、以前にもやったことがあるフォーマットだそうで、それでやる予定だった。
 前半の漫才を作るところで、これでできたとなったら、ボタンを押して、それを合図に、セットチェンジして漫才がスタートっていうシステムだったそうなんだけど、山里亮太が、「じゃあどうする」って聞いたとたんに、若林正恭が、にやっと笑ってボタンを押しちゃったそうなのである。
 いったん舞台のかみしもに分かれて衣装チェンジしている若林をちらっと見たら、出走ゲートの中で逸る競馬馬みたいに武者震いして奇声を上げていたそうだ。
 オールナイトニッポンZEROの火曜日を担当しているCreepyNutsが「たりないふたり」のテーマ曲を書いていて、この日のライブも観ていたそうなんだけど、ふたりの天才ぶりに打ちひしがれたと言っていた。山里亮太の突込みはフリースタイルのラッパーと考えたら、速度と精度が人間業じゃないと、鳥肌が立ったそうだ。
 オール巨人師匠さえ、「将来は、コントが漫才を超える時代がくるかな」と、週プレの連載で弱音を吐く時代に、たったふたりの漫才のライブビューイングで、全国53館、1万5000人集めたんですと。日テレ系のテレビで短縮版が放送されるらしいけれど、果たして、テレビがその興奮を伝えられるのだろうか。
 山里亮太の前日のJUNKで、爆笑問題太田光が「27時間テレビ」の大失態でだいぶ凹んでたので、そのコントラストがテレビの終焉を思わせはした。
 というのは、爆笑問題もテレビよりラジオの方が断然面白いのだし、オードリーにいたっては、テレビはその集客力を全然あつかいきれてないと思うがどうだろうか。今回のライブビューイングが15000人だし、オールナイトニッポンのライブイベントでは、武道館12000人、ライブビューイング10000人を集めてるんですよ。今、一番熱量のあるスポットはここじゃないですか?。それをテレビが全然生かせてない。
 先々週の爆笑問題のJUNK「真夜中のカーボーイ」で、太田光が見たリアルな夢の話をしてたんだけど、それが、オードリーの若林を殺しちゃう夢だったんだって。これが正夢か逆夢かしらないけど、夢告みたいなものだったのかもしれない。だって、たけしさん、さんまさん、関根さん、今田さん・・・・とそうそうたるメンバーを集めて、ただすべりしてる一方で、若林正恭山里亮太のライブは大うけしてる。
 テレビの中での世代交代と言うより、テレビそのものが終わりかけてる気がしますね。
 それはともかく『真実』。
 『真実』は、映画中映画のSFっぽいところもふくめて、是枝裕和監督がデビューに戻ったかのような、みずみずしい感じがする。
 フランスでどういう反応なのかが気になっている。というのは、日本人としての私には、この映画に何の違和感も感じないんだが、逆を考えてみればわかるように、フランス人監督が日本映画を演出したとすると、その作品を全く見ないうちから、心理的なブレーキがかかる気がするので、フランス人の場合はどうなのかに興味があるわけ。
 たとえば、日本人の日本画に集客力があるにしても、日本人の油絵には、どう接したらいいか、フランス人はもしかしたら、とまどうとも思えるので、そういう、映画の出来不出来と無関係なところで、ふだん意識しない文化の壁みたいなのが意識にのぼるのかどうか。
 今回の特別編集版はイーサン・ホークの比重が増している。イーサン・ホークはフランス語がしゃべれない唯一の登場人物で、奥さんであるジュリエット・ビノシュと、同じ役者という人種であるカトリーヌ・ドヌーヴを、この映画では、ちょっとした距離をおいて見る立場にある。そういう視点の比重が増えることでもともと軽い感じの映画がさらに軽やかに感じた。
 是枝裕和監督は『三度目の殺人』で弁護士を演じた福山雅治の最終弁論のシーンをすっかり落とした。DVDの特典映像に入れるかもと言ってたけど、入ってないみたい。
 編集をどこで止めるかが難しいのは、しろうとではちょっと想像が及ばないところがある。でも、伊丹十三監督が編集で映画は全然変わるって言ってましたね。
 めったに同じ映画を二度観ないので、こういう機会でまた観られたのが得した気分だった。けっこうお客さんもいっぱいだった。