『ドリーミング村上春樹』観たです。

 今、村上春樹が世界じゅうで読まれてるのは事実としても、日本人の私が、それを感覚的にとらえるのは、けっこうむずかしい。
 野田知佑がカヌーでユーコンを下っている途中で出会った女性が、夏目漱石の『こころ』の英訳版を読んでいたというのを読んだことがあった。その方がまだわかりやすい気がするのは、たぶん、明治という時代が分かりやすい気がするからだと思う。たぶん、村上春樹の時代っていうのが、まだ未解決すぎて、小川洋子吉本ばななが海外で読まれているというのは、ちょっと違って、引っかかってしまうのだと思う。
 『ノルウェーの森』の頃は、ほんと、あの赤と緑のハードカバーを電車の中で読みながら、ため息をついてる男、などというちょっとヤバい感じを、わたしは現に目撃したことがある。
 『若菜集』の頃の島崎藤村、大正時代の芥川龍之介終戦前後の太宰治、とかはこんな感じだったのだろうかと思わせる、1980年代の村上春樹はそんな存在だった。そう、日本のある時代精神を象徴している存在だったのだろう。だから、海外でウケているときいて、え、と思ってしまうのだろう。
 しかし、そういう意味での、村上春樹の時代は終わったし、日本が変わったと思う。いつから違ったかというと、オウム事件後だと思うので、1995年を境に、時代が村上春樹から離れていった気がする。
 ただ、そうした村上春樹の時代とは何だったかとはっきり確定できるかといえばその自信はない。村上龍を評価せず、田中康夫を絶賛していた江藤淳は、村上春樹サブカルチャーの人だと呼んでいた。
 たしかに、サブカルっぽければ、さまになっていた時代というのもあった気がして、それももう終わっちゃった。
 村上春樹サブカルチャーであることに同意したとして、では、その「サブ」に対する「メイン」のカルチャーは何なのかというと、日本にはたぶんそんなものはないと思う。だから、それは、サブカルのポーズにすぎないか、どこか外国のカルチャーに対するカウンターカルチャーであるか、ということになる。
 もし、外国のカルチャーに対するカウンターだとすれば、日本の場合、アメリカにならざるえないが、アメリカのカルチャーがすでに私たちのカルチャーだと言いうるのであれば、そのカウンターもサブカルチャーでありうるけれど、そうでないなら、それは結局、サブカルのポーズとほとんど同じだと思う。
 『ノルウェーの森』の主人公は、村上春樹とおなじく神戸出身だと記憶しているが、関西弁をしゃべる気配すらない。そもそも最初は飛行機の中でスチュワーデスと英語で話している。そのあとずっと翻訳みたいな口調がつづく。
 こうした土着性のなさ、自国の自律した文化の希薄さが、じつは、多かれ少なかれ、日本だけの問題ではないのかもしれないと、この映画『ドリーミング村上春樹』の主人公、メッテ・ホルムというデンマーク村上春樹の翻訳家を見ていて思った。
 村上春樹の小説は、世界中50か国以上で翻訳されているそうだが、ほとんどは英訳から自国語に訳されているのにたいして、このメッテ・ホルムさんは、日本語からデンマーク語に訳している。村上春樹の翻訳家どうしで意見交換する場面が印象的だった。デンマークの読者はあなた(メッテ・ホルムさん)の文体で村上春樹を読みたがる。ほかの文体では違和感を覚えるだろうと言われる。たしかに翻訳は、二次的な創作といえる一面があるのだろう。
 だとしたら、デンマークにはデンマークの、村上春樹を受け入れる何かがあるのだろうし、そうだとすれば、日本とおなじように、もう村上春樹じゃないなという時代がくるのかもしれない。日本と同じように、自国の文化がすっぽりなくなっていることに気づいて愕然とする時がくるのかもしれない。

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デンマーク版『騎士団長殺し