『1941 日系アメリカ人と大和魂』を読む

1941 日系アメリカ人と大和魂

1941 日系アメリカ人と大和魂

Photographs of Manzanar

Photographs of Manzanar

  • 作者:Ansel Adams
  • 発売日: 2012
  • メディア: ペーパーバック

 日曜日、雨がふって意気阻喪してしまい、新型コロナウィルスのアウトブレイクもあり、外に出かける気がせず、本を読んで過ごした。
 『1941 日系アメリカ人と大和魂』の著者・すずきじゅんいち氏は映画監督で、昔、この人の撮った映画『二つの祖国で 日系陸軍情報部』というのを観た。2012年のドキュメンタリー映画を観たのだったが、あれが三部作の第3作目だったのをこの本で初めて知った。
 実は、この本の著者があの映画の監督だと知って、この本を読み始めたのではなく、第二次大戦中の日系人について知らなくてはいけないのではないかと思って読み始めたら、たまたま著者があの映画の監督だったというわけだった。
 日系人について知りたいと思った理由の、全部ではないがひとつは、去年、表現の自由をめぐってごたごたした『主戦場』という、日系アメリカ人の撮った、慰安婦問題を取り上げた映画について、いろいろ考えてみると、あれは実に奇妙な映画だという思いが募ってきたのだ。
 そもそも「主戦場」というタイトルの意味が、愛知トリエンナーレでも物議をかもした、いわゆる「慰安婦像」がアメリカの各地で建てられる事態に際して、「慰安婦問題の主戦場は今やアメリカですよ」という意味だと解釈して間違いないと思うのだ。現に、映画の中でも、慰安婦像設置をめぐる訴訟の様子が描かれている。
 ところが、監督が日系アメリカ人であるにもかかわらず、肝心の日系アメリカ人に対するインタビューが一切ないのだ。日系アメリカ人が韓国系アメリカ人の「慰安婦像」の設置について訴えた裁判を撮影しているのに、韓国系アメリカ人にはインタビューしているのに、日系アメリカ人にはインタビューしていない。
 あの映画は、杉田水脈など日本会議メンバーの異常な言動がショッキングでそちらに目を奪われてしまうのだけれど、ドキュメンタリー映画の作り方として、やはりかなりまずいのではないかという感じが日に日に強くなってきている。
 日本会議が危険な団体であることで、つい見落としてしまうが、この映画が、ドキュメンタリーを作るうえでの倫理に則して作られているかは疑問だと思う。それは、このすずきじゅんいちの著書の中で、著者がドキュメンタリーについて
「ドキュメンタリーというノンフィクションの場合、編集する人の意図によって、むしろフィクション(作り物)になる可能性が高いのだ。」
「素材は真実でも、完全なウソがつけるのが、ドキュメンタリーなのだ。」
と自戒している部分を読んで、取材対象である日系アメリカ人の方たちと信頼関係を築いている著者の言葉だからこそ重いものを感じた。
 これに引き比べると、『主戦場』のミキ・テザキ監督のやり方は我田引水、牽強付会というべきものだと思う。そして、もう一度言うけれど、自身が日系アメリカ人で、本来、いちばんインタビューしやすいはずの日系アメリカ人に誰一人インタビューしていないのは、ドキュメンタリーとしてフェアでないというより、致命的に不誠実だと思う。
 で、なぜこういうことが起こったのかと不思議に感じていたのだが、この著書を読んで、うっすらともしかしたらこうではないのかなというヒントのような手がかりも知ることができた。
 それは、日系人が第二次大戦中に収容所に移住させられたときから生じた、日系アメリカ人社会の分断である。
 大戦中に、日系人だけで組織された442連隊は、アメリカ陸軍史上最も勇敢な連隊だと言われている。彼らの活躍が戦後の日系人の地位を大いに高めた。
 しかし、収容所から米軍に志願する日系人は多数派ではなかった。それは、むしろ、当たり前なんであって、そもそもアメリカ人として生まれてアメリカ人として育ってきたのに、日系人というだけで、地位も財産も仕事も奪われて、過酷な収容所生活を強いているアメリカ政府のために、命まで投げ出せというのは理不尽そのものなのだった。
 兵役を拒否し、日本人という自己の民族性も捨てないという態度をとることは、あえて兵役に志願するよりも、よほど権利と民主主義を尊重する態度だったのである。兵役を志願するものはむしろ裏切り者とされていた。
 その評価が戦後一変する。日系人部隊の目を見張る活躍によって、戦争に行った側が英雄になり、兵役を拒否して政府に抗議した側が卑怯者になる。
 これは奇妙なことだ。人権を踏みにじった政府の側に立って戦った人が英雄になり、抗議した人は過去を隠して生きなければならなくなった。
 ドイツ軍に包囲されたテキサス大隊200人余を救出する作戦で、日系人兵士が600人から800人が死んだと言われている。そうまでして、戦後、日系人に対する差別がなくなったかと言えばなくなっていない。
 正しい、正しくないを言えば、どちらが正しかったのか。すくなくとも、一方は英雄と呼ばれ、もう一方は過去を隠して生きなければならないのは、奇妙なことだと思う。
 このときアメリカの日系人社会に生じた亀裂は、今に至るまで修復されていないそうなのだ。
 これを考えると、ミキ・テザキが『主戦場』で、日系アメリカ人の意見を一切紹介せず、韓国系アメリカ人の言い分を無批判に紹介する理由がうっすらとわかる。彼は、日系人社会の分断を慰安婦問題におきかえて代理戦争をさせているだけだと見えるわけである。
 それはもちろん推測に過ぎないが、しかし、『主戦場』と映画のタイトルにうたい、慰安婦問題の主戦場がアメリカにあるとしながら、訴訟を起こしている日系アメリカ人のインタビューさえ取れないのは、まったくの欺瞞というそしりを逃れられないだろう。彼は日系アメリカ人社会の分断から目を背けているだけだ。自分の問題を他者の問題に置き換えてくちばしを出しているだけ。
 そもそも慰安婦問題は外交問題ではない。日本会議の傀儡政権のような安倍政権ですら、慰安婦に対して謝罪している。それを、謝罪が足りないとして受け入れないことで、外交問題にしているのは韓国政府なのである。しかも、謝罪を拒否する理由はそのたびに変わっている。
 韓国人だけが慰安婦であったわけではく、日本人だけが日本軍兵士であったわけではない。慰安婦には日本女性もいたし、日本軍兵士には韓国人もいたのだ。
 慰安婦問題の主戦場がアメリカだというのは、奇妙な主張だ。慰安婦問題は人権問題のはずだ。であれば、慰安婦個人を離れて一般化することはあり得ないはずである。
 慰安婦には人それぞれの事情があったはずである。それをひとまとめにして聖人のようにまつりあげることには、何かいやな気配がする。
 すずきじゅんいち監督の戦時中の日系アメリカ人を描いた映画三部作は、

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だが、探したけれど配信では見られないようだ。

 それから蛇足かもしれないけれど、日系人部隊の442部隊がゴシックラインの戦闘でドイツ軍と戦闘したとき、右腕を吹き飛ばされながらも戦い続けたダニエル・イノウエさんは戦後上院議員になった。
 ダニエル・イノウエ上院議員は、一度、今の安倍首相のおじいさん岸信介が首相をしていた時、ことばをかわしたことがあるそうだ。ダニエルさんが、日系人に日本の駐米大使をさせたいというと、岸信介は「食い詰めて日本を出ていった移民に大使が務まるのか?」と言ったそうである。
 最近の安倍首相の国会での野次を聞くかぎり、脈々と品位のなさを受け継いでいるようだと妙に納得してしまった。