『ハイパーハードボイルドグルメリポート』と新コロナと『ミッドサマー』

ハイパーハードボイルドグルメリポート

ハイパーハードボイルドグルメリポート

 『ハイパーハードボイルドグルメリポート』ってこの本は、テレビ東京の深夜にときどきゲリラ的にやってる同名の番組を担当ディレクターの上出遼平が書き下ろしたものだ。先週の佐久間宜行のオールナイトニッポンZEROにこの著者がゲストに来ていて、その話をしていたのが超おもしろくてさっそく読んだ。
 高野秀行の書いたものにも、辺境での食事に関するものがあるけれど、それのさらにヤバい感じのもの。特に、冒頭のリベリア編がすごい。
 リベリア元少年兵たちを取材している。リベリアが政府軍と反乱軍に分かれて戦っていた時、双方の軍は兵士として少年たちを狩り集めた。彼らの目の前で親を殺しただけでなく、時には、彼ら自身の手で親を殺させた。そうして、兵士となった彼ら自身も殺し合い、子供たちを殺した。
 内戦が終わった後、放り出された彼らがどう生きているか、ではなく、何を食っているかに取材対象を絞ったのが、ハードボイルド・グルメ・リポートの所以だ。生き方なんてのは私には分からないが、食べ物がうまそうかどうかは分かる。取材される彼らにしても、生き方を見せてくれと言われても困るだろうが、ご飯を見せてくれと言われれば見せられる。このあたりこの著者のセンスなんだろう。
 本の内容の方はネタバレするのもどうかと思うのでふれずにおく。そうじゃなくて、この本の内容にとっては、重箱の片隅の情報に過ぎないのだけれど、昨今のコロナ騒ぎと関係がないとも言えないことが書いてあったので、それについて。
 リベリアは、エボラ出血熱の流行の震源地だった。ところが、上出遼平が訪ねた2017年でさえ、エボラ出血熱を媒介するといわれている、サルやコウモリが、市場で平然と売られていたそうだ。もちろん公的には禁止されている。
 「これ大丈夫なんですか?」
と聞くと
「何が?」
「エボラは大丈夫?」
「エボラなんてないんだよ」
というやりとりが繰り返されるだけだったそうだ。
 そこで多くの人がエボラ出血熱で死んだにもかかわらず、現地の人は「エボラ出血熱なんてものはない」と信じている。人が大勢死んだのは、国際機関がわれわれをクスリの実験台にしたためで、エボラ出血熱はそれを隠ぺいするためのでっち上げだという陰謀論が現地では信じられている。
 「んな、ばかな」と思う。ところが、今度の新コロナにしてみたところが、「新コロナ5G原因説」とか「中国生物兵器説」とかがまことしやかにささやかれている。イギリスでは「5G原因説」を信じた輩に電波塔が放火されているそうだし、「中国生物兵器説」にかんしては、あの国の秘密主義のせいで、わたしも一瞬、もしかしたらそうかもと思いかけた。
 ましてや、内戦で、つい最近まで同国民同士が殺しあっていた国にいたとしたら、正論も陰謀論も大差ないのではないか。これまで食ってた猿ならこれからも食い続けるのが非常識と言えるかどうか。
 エボラ出血熱の生存者がいて、彼女は、収容施設で出された薬を飲まずに捨てていたから助かったと信じている。飲んでいた親兄弟はみんな死んだと。
 「薬を飲む飲まないじゃねぇ、そもそも猿なんか食わなきゃ変な病気にならないんだよ!」と私たちは思ってしまう。しかし、現地の人たちはそれを「猿を食う自分たちに対する偏見」だと思ってしまう。このあたりで陰謀論と正論がせめぎあう。
 イラク大量破壊兵器がなかったのなら、エボラ出血熱がなくても何の不思議もないではないか。陰謀論と正論はここでオプションになってしまう。
 歴史的に、国際社会が彼らに誠実であったかといえば、とんでもないわけで、その価値観のおしつけにたいする無意識のプロテストも含まれているだろう。
 真実であろうがまちがいであろうが、人は自分が信じるようにしか生きられない。しかも、真実を信じたものが生き残るとはかぎらない。しかも、生き残ることに価値があるともいいきれない。そんなあやふやな世界で、ひとはともかく飯を食う。そこにフォーカスしているのがこの本の面白いところだと思う。
 最後のケニア編に登場するジョセフ少年が魅力的だった。ゴミ山でひとりで生きている彼をこの著者は、さげすんでも憐れんでもいない。結局、人はこんな風に生きて、こんな風に食べている。世界の片隅で、こんな風に生きている人がいるということくらい、気持ちを温かくしてくれることはない。


 ロシアのカルト編は、リベリアとはまた別の意味で面白かった。2018年3月に取材しているが、おなじスラブ系ということもあり、今年ヒットした『ミッドサマー』を思い出させた。

www.phantom-film.com

 『ミッドサマー』は、主人公たちとカルト信徒たちの、彼我の差がはっきりしすぎている。主人公たちに生じるのは、せいぜい研究対象としての興味くらいで、反発しながら惹かれるといった相反する感情が生まれたりしない。精神的に不安定な女の子がうっかり洗脳されてしまうくらいのことで、その意味では架空のカルトを舞台にしたホラー映画にすぎないと思う。
 危うさという意味では、この本が取り上げているシベリアのカルト「ヴィッサリオン教」の方がはるかに危うい。彼らの方が正しいかもしれないと思わせる説得力がある。
 佐久間宜行との対談では、一番うまかったのは、このシベリアのカルトの食事だったそうだ。あくまで、味のよしあしという意味ではということだったけれど。
 ロシアとカルトというと、どうしてもオウム真理教を思い出してしまう。ソビエトが崩壊したころ、オウム真理教がロシアに多数の信者を獲得していったことがあった。
 国が亡んだとき、人がどんな気持ちになるのか、わかるようでいて、実のところは想像すらできない。オウム真理教は、正真正銘のカルトであることを、彼ら自身が証明してしまったわけだが、一方で、このシベリアのカルトが、何千人かの人たちの心のよりどころになって、実際に、コミュニティーが形を成していて、生活が営まれているなら、いちがいにカルトと断じされない気がした。
 ヤバいと言うことなら、取材前夜のウラジオストックのハチャメチャぶりの方が、誰が考えたってはるかに無秩序だろう。「恐ロシア」というフレーズは、日本語を話せるロシア人が好むフレーズだそうである。

 昨日の佐久間宜行のオールナイトニッポンZEROを聞いたら、この本は売れに売れてるそうだ。まあそうなんだろうね。めちゃくちゃ面白いから。