不安な時代ですよね

 正しさは移ろいやすい。
 世間の人が正しいと思ったり、正しいと言ったりしていることも移ろいやすいし、自分自身が正しいと思ったり、そう言ったりしていたことも、十年といわず、一年といわず、さっき正しいと思っていたことが、今はわからなくなるなんてことは、別に珍しくもない。
 であるにもかかわらず、正しさを振り回す人たちがいる。明日になれば、その正しさがどうなっているのか分からない、そんな経験を何度もしてきたはずなのに、今、心に浮かんだ正しさを振り回して、誰かを傷つけずにいられないっていう人たちがいる。
 そういうひとたちを批判しようということではなくて、時代の空気っていうのは、多分そういう人たちの意見が作り出すもんなんだなと思ったことがあったので、それについて書こうとしているところ。
 はてなブックマークに、匿名の記事があった。たぶん、今はこういう空気なのだ。今の空気がこういうことを正しいと思わせるのだと思う。

anond.hatelabo.jp
 
 要するに、時間と労力の切り売りみたいなことは努力とは言えない「無駄な努力」で、正しい努力をしないから貧乏になるんであって、したがって、貧乏は自己責任である、といっている。
 「無駄な努力」云々のところは、こんなことは、プラトンの昔からいわれている。それから2500年、貧困の問題はなくならないんだから、それと貧困はまた別の問題だと気が付いてよさそうなものだ。
 それを、いまさら大発見みたいに書き起こして、貧乏なのはそいつらが努力しないからだ、おしまい、では、知性において麻生太郎に勝るとも劣らないというしかない。
 広瀬すずが、照明スタッフを見て「一生、他人にライトを当てるだけでホントにいいの?と思う」と発言して炎上したのはほんのこないだのような気がする。しかし、あれは10代の少女の自問にすぎない。
 この匿名氏は、昔、バイトしていたころの同輩を見て「ここまで落ちたら終わりだな」と思ってたと書いている。たしかに、フツーに大学を出て1000万程度の収入があるのは、別に羨むほどのことではない。その程度のフツーの人が、これまたフツーに働いている、ホテルマンのおじさんかなんかを見て「こうなったら終わりだな」と思ったと、平気で書ける思いやりのなさが、むしろ、「こうなったら終わり」だと思う。悲しすぎる。
 新コロナウィルスのパンデミックで世界経済が急速に縮小していくに違いない時に、フツーの収入の人が、自分より少し収入の低い人を見て「ここまで落ちたら終わりだな」というのは、不安が書かせている言葉だろう。しかし、その利他心のなさが悲しい。
 全知全能でないわけだから、人間の正しさなんてのはいつも正しさの断片にすぎない。時代の空気が、なにかを「正しい」と思い込ませるにすぎない。だから、その時「正しい」と叫ばれていることが、その時代の空気を教えてくれる。不安が人を飲み込んでいく、そういう時代の鳥羽口に立っているらしい。