岡村隆史炎上事件後の深夜ラジオの自己検閲について

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霜降り明星

 霜降り明星せいやが、「あいみょんを彼女にする」と宣言していた。もちろんボケなのである。これを笑いにするのが話術なので、彼らはその話術のプロなんだし、だから、聴くに耐える番組が成立する。そんなのいちいちこんなブログで書いたりするのがばかみたいだ。その放送の最後に、霜降り明星の2人が「あいみょんさん、全てボケです。すいませんでした」と謝罪していた。そして「何やねん、この時代?」と。
 この問題に繰り返しこだわりすぎているかもしれないが、岡村隆史オールナイトニッポンで炎上した風俗云々の話は、何度も言うように「ボケ」なのであって、それは、話芸の一部なのだ。あの放送を現に聞いていたリスナーからは何の批判も起こらなかった。あの放送は生放送だから、もし、何か問題があるとおもったのなら、その生放送中にリアクションできたはずなのである。しかし、何も起こらなかった。
 炎上を引き起こしたのはネットニュースなのであって、岡村隆史の放送ではない。それは、ネットニュースには、岡村隆史の放送にあった、話芸の部分が欠落しているからだ。
 今回、岡村隆史の降板なんかを求めて署名なんかしているのは、話芸の部分が見えていない、というか、たぶん、実際には聞いていない。あるいは、悪意をもって聴いている。
 オールナイトニッポンは、朝まで生テレビじゃない。初めから全てジョークに決まってる。ジョークに本気で怒るのは怒る方が悪い。
 そして、あれは、悪質なジョークではない。それについても、くりかえしになるが、あれはそもそも誰も傷つけていない。非常事態宣言が明けたら、かわいい子が風俗に来るから楽しみにしましょうね、というボケなのだけれども、ご存じの通り、非常事態宣言は明けてないし、明けたらかわいい子が風俗に来るなんてことはただの妄想であって現実ではない。それとも誰か統計でもとったのか?。まだ明けてもいない非常事態宣言があけたあかつきには、風俗嬢の質があがるについてのエビデンスでもあるのか?。もちろんない。だから、あのジョークは、誰かを標的にしたわけでもない。怒っている人は誰のために怒っているのか。すくなくとも、自分のためではないはずだ。そうなると、誰を代弁しているつもりになっているのか、まったく理解に苦しむ。
 日本列島を徒歩で縦断したニュージーランド人のクレイグ・マクラクランが書いていたけれど、山に登るときは、立場にかかわらず、お互いにきついジョークをいいあって会話を切らさないようにするそうなのである。そういう時に、黙り込んだり怒ったりするのは遭難につながる行為だと思われているそうだ。
 生死にかかわる登山のような場合ではなくても、ちょっとしたジョークにいちいち怒る社会がよい社会だと思いますか?。
 そのうえ、今度は、岡村隆史を説教した矢部浩之の言葉まで炎上しているそうだ。非モテ非婚差別だということだそうなんだが、あのふたりは十代のころからの深い付き合いなんであって、そういう関係がある個人対個人の話なんであって、他の誰かにむけて宣言しているわけでも提言しているわけでもない。横から人が口をはさむ話ではない。これもまたコンテキストを無視しているという意味で先の岡村隆史の炎上と全く同じである。
 岡村隆史自身が謝罪したわけだから、それについて、あれこれいうのも余計なおせっかいかもしれないが、そのコンテキストということをいえば、あの番組のスポンサーについている高須クリニックから苦情が来たのだ。「頑張る女性を応援します」って言ってる高須クリニックとしては放置できなかったと考えられる。
 しかし、これってあいちトリエンナーレ以来の、苦情至上主義社会というか、苦情が大量にくれば、ことの論理的、倫理的是非と無関係に謝罪しなければならない変な社会を受け入れるべきかどうかという話だと見える。
 これは深く突き詰めて言えば、フランスでいう「ライシテ」の問題と重なると思う。表現の自由をどこまで認めるかはたしかに議論になると思うが、今回の場合は、他愛ないジョークにすぎないのに、こんな反応が起きるのは、この国の社会の民度が問われるように思われる。
 霜降り明星のふたりの話術はほんとにすごい。今回の回だけでも聞いてみて、ちょっと笑芸についてのリテラシーを鍛えてみてもよいのではないか。
 同じく今週のバナナマンのバナナムーンゴールドでは、日村さんのスイカ嫌いを克服しようというチャレンジをやっていた。要はスイカが食えない日村さんにスイカを食わせる訳だから、番組の随所で、先週の番組内で日村さんが「俺もうスイカは大丈夫な気がする」と発言したところをしつこいくらいにリピートして流していた。これがイジメではないというエクスキューズであるのは明らかだった。
 こうやって、放送する側はどんどん状況にあわせて変化していく。これはいいことなのかどうかわからない。自己検閲といえばそういえるわけで、芸人の表現の自由がこうして制限される一方で、安倍首相の野次や麻生太郎の放言は看過されるという風潮をこの一件がますます助長することになると懸念する。
 いずれにせよ、最初の岡村隆史の炎上事件は、神社本庁日本会議電凸作戦とおなじく、ことの是非とは無関係に実力行使で言論を封殺する手法だった。それは許しがたいことだったと私は思う。