『日本・アメリカ ハーフ・アンド・ハーフ』

 日系アメリカ人の物語はどれもとても興味深い。考えてみればこんなにドラマティックなアイデンティティーの引き裂かれ方をした人たちは、そんなにいないだろうと思う。欧米のなかでもハーフの人たちは根っこでは文化を共有しているのだけれど、日系アメリカ人たちは何から何までちがっている二つの文化を自分の人格に統合しなければならなかったわけで、それがドラマティックだと理解できるという一点だけでも、日本人で日本語がわかってよかったと思える。
 松岡洋右について発見があった。国際連盟を脱退した後、13歳から9年間留学していたポートランドを訪れ、現地の日系人を前に演説している。この本の主人公であるトミー・マツウラもその当時、ポートランドに住んでいたので、その演説を聞きに行った。その時印象に残ったこととして、演説後の質疑応答の時、もし日米間で戦争が起こったら日系人はどうすべきかと問われて、松岡洋右
「もしも日米戦争が起きた場合は、あなたがたはアメリカ側に立つべきでしょう。あなたがたはアメリカで生まれ、アメリカで教育を受け、アメリカの法律で守られているアメリカの市民です。日本の武士道からいっても、あなたがたは当然アメリカのために戦い、アメリカに命を捧げるのが本道でしょう。それについては疑う余地はありません」
と答えたそうである。
 前に読んだすずきじゅんいちの著書では、このエピソードは東条英機のものとして語られていたが、脈絡から考えると、どうも松岡洋右のことばなのが真実らしい。
 松岡洋右については、吉田健一の著述からも、国際連盟から脱退したことからも、東京裁判の結末をみずに死んでしまったことからも、あまりよい印象をもっていない。
 対米経験を経て帰国すると右翼になるっていう俗説(江藤淳西部邁)はともかく、松岡洋右も日米の価値観に引き裂かれたひとりだったことは興味深かった。
 この時代の日本について書いてある本に触れて、それ以外の記述にであうことはまずないが、ここでも例にたがわず、日本軍の将校たちはクズでなければ鬼畜であることにかわりはない。
 シカゴのニュートン・ウエスギ(ウエスリー)、Newton K. Wesleyという日系米人がどうやら現在のコンタクトレンズの生みの親のひとりであるらしい。日本ではあまり知られていないように思う。
 トミー・マツウラさんはシカゴの大学に検眼医(この日本語自体トミーさんの造語だそうだ)になるために居を移した。そのころ、オレゴンでは排日運動がさかんだったがユダヤ人に対してはこれといった差別はなかった。一方、シカゴではむしろユダヤ人排斥がはげしくて日系人に対してはどうということもなかったというのも面白かった。