『透明人間』と『アップグレード』観ました

f:id:knockeye:20200808104943j:plain
透明人間

 映画『透明人間』っていうと、いったいいつの時代の映画なんだって内心思ってしまう。
 透明人間が最初に映画化されたのは1933年だそうだ。それからも、色んなメディアで作品化され続けた。近くはポール・バーホーベンの『インビジブル』(2000)がある。大して面白くなかった。2006年の『インビジブル2』は、米国劇場未公開だそうだ。
 今回のは評判がいい。成功した原因のひとつは、透明人間を主人公にしなかったこと。透明人間にストーカーされる女子と主観を共有することで、誰もいない空間にずっと緊張感がある。
 ふたつ目は、やはり、映像技術の進歩。2000年の『インビジブル』ですらカクカクしている。が、しかし、透明人間を映画で見るってことは、1933年から2000年まで、透明人間がどう描写されているかを見ることだった。
 それを今回の映画は辞めている。CGすごいでしょ大会をやっても意味ないよねと思えるくらい、映像技術が進歩したってことだと思う。
 みっつ目は、その結果、なのかどうか、透明人間という妄想が、窃視願望にすぎないことが基本概念に据えられることになった。
 逆かも知れない。透明人間という妄想は窃視願望のあらわれにすぎないじゃないかという発想から出発して、このストーカー透明人間が誕生したのかも知れない。
 実際、自分に自信があり、異性関係に経験があり、異性と対等なやりとりを楽しむことができれば、何を好き好んで透明になる必要があるのか。
 万引きしてもバレないよね、くらいのセコい願望であって、それを「すごい」とか言って喜んでいる中二的な発想を、完全に突き放している。
 そして、最後の最後に女性の主人公がリベンジを果たして終わる。セルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』を観た直後ってこともあり、けっこう西部劇だぞって思った。
 ぐるぐる巻きにした包帯をとったら顔がない、みたいな見世物興行的なところから始まった透明人間映画が、この2020年版のでようやくまともなストーリーになったという印象。
 と、こういうフェミニスティックな見方もできる一方で、社会不安の反映も見ることができる。
 透明人間は、先端技術を独占する企業のオーナーで、圧倒的な富裕層なのだ。
 一部の富裕層が、想像も及ばないとんでもない技術で世界を牛耳っているのではないかという潜在的な不安。Facebookが世界を制すってのとTOYOTAが世界を制するってのではまったく意味が違う。Windowsが世界を制すでさえまだ明るいイメージがある。
 TikTokHuaweiアメリカから排除しようとか、コロナの原因は5Gだとかが現実的なムーヴメントになっちゃう世の中を反映していると言えるだろう。
 そういう現在的なテーマが巧みに西部劇のプロットに落とし込まれている。これが魅力だろう。
 『アップグレード』ってのも、AI関連の映画で、これも面白くて怖い。この映画を面白がってること自体が、この映画の世界への入り口かも知れない。『マトリックス』の世界をもっと泥臭くした感じ。

アップグレード (字幕版)

アップグレード (字幕版)

  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: Prime Video
toumei-ningen.jp