石井裕也監督の『生きちゃった』みました

f:id:knockeye:20201109043506j:plain
映画『生きちゃった』

 10月3日公開だったってことを知って驚いている。映画を観に行こうかなってときは近場の映画館から探すので、なかなかアンテナにひっかからなかったってことは、東京のどこかで単館上映してたんだろう。それにしても、神奈川に伝わるまでさえ1ヶ月もかかるって、石井裕也監督みたいなビッグネームの作品に対してあつかいがひどすぎる。
 資本が日本国内でないってことが大きいのかも。中国のHeaven picturesと香港国際映画祭が、アジアの映画監督何人かに同額の予算を提供し、「原点回帰、至上の愛」をテーマに一切の制約なしで映画を製作した。
 こういう試みが中国で行われるのはなんとも皮肉で面白い。そのプロジェクトの他の作品は未見だが、石井裕也監督のこの作品に関しては、リミッターの外れた石井裕也の実力を見せつけられた。
 家族をテーマにした、どちらかと言うと地味な作品だが、石井裕也監督の場合、リミッターが外れるとこうなるんだっていうのは、画面全体にこだわりが張り詰めている。絵づくりが完璧。と、素人がいうのはおこがましいのだけれども、客席の雰囲気が張り詰めている。コロナ禍のせいだけじゃないと思う。オリジナル脚本もキレがいいけれど、やはり、絵の説得力がずば抜けている。だれるところがどこにもない。
 一例を挙げると、仲野太賀がお盆に帰省した実家の夜、仲野太賀と、両親の嶋田久作伊佐山ひろ子が座ってる、一段低い台所に兄貴のパク・ジョンボクが来て冷蔵庫を開ける。風格を感じさせる。風格という言葉をこないだ『ポルトガル、夏の終わり』に使った。今年はあれを超える映画には出会わないだろうなと思ってたんだけど違った。
 個人的に、改めてこの人のフィルモグラフィを見返してみると、この人を一躍スターダムに押し上げた『川の底からこんにちは』は観ていない。観たのは『あぜ道のダンディ』、『舟を編む』、『ぼくたちの家族』だな。話題になった『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』は、観ようかどうか迷って、結局みなかった。この中で一番好きなのは『あぜ道のダンディ』だな。
 あの時の光石研田口トモロヲが今回の若葉竜也と仲野太賀かもしれない。キャストの名前も全てあげたいくらいすばらしい。
 「原点回帰。至上の愛」というこのシリーズに参加している日本の監督は石井裕也ただひとり。映画館にはフライヤーもポスターもないみたいな扱い。中国資本なんで人目につかないみたいなことになるにはあまりにも惜しい。 
 主人公が「泣けないのは俺が日本人のせいなのかな」というシーンがある。「原点回帰」ということで言えば、石井裕也監督が持ち続けているテーマのひとつはこれなんだろうと思う。
 わたしたち日本人は(日本人に限らないかもしれない)、言葉の二重性に悩まされることがある。私たちの感情に言葉が直接つながっていない。日本人がシャイだと言われるのは、私たちがホンネを語っているとき、私たちはどこかでウソをついているような気がするからなのだ。
 家族をモチーフにしながら、日本語の言語表現にまで深く切り込んでいる、オリジナル脚本は、小説の世界を見回しても、ここまでの達成を果たした作品はちょっと見当たらないと思う。