『罪の声』

 『罪の声』は、星野源小栗旬という大スターをキャストに迎え、ベストセラー小説を原作にした映画で、そういう場合、こけるケースが多いんだけど、そこは『MIU404』でも星野源と組んだ脚本家の野木亜紀子の力で、見事なエンタメに仕上がっていた。
 主役級のだけでなくキャスティングが心憎い。柔道場の館長が桜木健一だったりする。他にも、庄司照枝、宮下順子沼田爆、岡本麗、火野正平などチョイ役と言えそうなところに、重鎮を置いている。そういうの大事だと思う。
 グリコ森永事件がひょんなことから解決するっていう、推理小説としての面白みを縦軸にしながら、家族の物語に着地するっていう、それは、原作の魅力なんだと思う。原作未見なので断言できないがそうだと思う。
 グリコ森永事件に特徴的だったのは、足がつかないように子供の声を脅迫テープに使ったことだった。『罪の声』の「罪」の部分は、もし、その子供の親が犯人グループにいたとしたら、その親の罪悪感はどうなっているのかということなのである。刑事的な罪ではなく。
 その親の世代の葛藤が、少し説明的だったと感じた。68年頃の世界的なプロテストの時代が、日本だけではないのかもしれないが、後の世代に何らかの、わずかながらでも良かったのだが、成果が残せなかったことが現代に影を落としている、その痛々しさまでは伝わったかどうか。そこまでいけば名作と呼ばれたろうと思う。
 この作品にも若葉竜也が出ていたが、『生きちゃった』と同じ週に観たこともあり、エンタメ感の方を強く感じてしまっただけかもしれない。わが子に脅迫テープを録音させるっていう、その罪のおどろおどろしさは、推理小説の謎解きのおもしろさに比べて、弱かったように思った。敢えて回避したようにすら感じた。
 現在、ある程度地位や名誉のある人たちでも、学生時代の過激派メンバーの逃走を手助けしていて罪に問われたりしたニュースも見たことがあった。アメリカ映画では、ロバート・レッドフォードの『ランナウェイ/逃亡者』に描かれていた。『三島由紀夫vs.東大全共闘』などにも現れているように、あの時代の皮膚感覚としての真実というべきものがあっただろうと思う。それが、現代に罪として露呈するその痛々しさまでは手が届いていたかどうか。そこはどうなんだろうと思った。


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