『詩人の恋』連想

近代の虚妄―現代文明論序説

近代の虚妄―現代文明論序説

 この正月休みはどこにも出かけなかった為に読書がすすんだ。佐伯啓思の『近代の虚妄』は、読み終えたからと言ってそう易々と感想が書ける本でもなかった。それでもおいおい内容について書いていきたいと考えているが、とりあえず、昨日の『詩人の恋』との連想で、日本って国は、少なくとも近代においては、ほぼヨーロッパだったなと、改めて思ったわけだった。
 誤解を招かずに書くことは難しいが、日本が近代を共有したのはヨーロッパとだった。近代の共有に関しては、アメリカやロシアとでさえズレがあると思う。戦前は、むしろ、アメリカやロシアに向ける視線ですらヨーロッパと共有していたと思う。
 戦後も、ノルベルト・フライが『1968年 反乱のグローバリズム』に書いているように、1968年という年を日本は世界と共有したのだった。
 奇跡的に、世界の若者たちが連帯していたかにみえたその年以後、世界はだんだんと分断に向かうが、こういう時に使う「世界」という言葉に、日本は含まれていたわけだった。なぜなら、無意識に、というより、その「世界」は、近代を、つまり、歴史を共有した世界だと意識されていたからだった。
 近代が歴史に属しているというより、歴史が近代に属している。そういう歴史を世界が共有していた最後の年が1968年だったのかもしれない。
 昨日、
「1970年代には、韓国の詩人と日本の詩人はつながりを持っていた印象があった。おそらく、日本と韓国が「近代」を共有していた最後の世代が彼らだったのだろうと思う。」
と書いた。その時、名前が出てこなかった韓国の詩人は、たぶん、金芝河だったと思う。そのころ、金芝河の三文字を目にしなかった若者はいないと思う。
 金芝河だけでなく、韓国の反体制詩人たちと日本の詩人たちは、互いに連絡を取り合っていたと、なんとなくそう信じていた。もちろん、実際については興味もなかったし、何も知らない。しかし、そう漠然とでも信じていたのが近代の感覚なんだと思う。
 なので、その後、慰安婦問題で韓国人がとったエキセントリックな態度には、裏切られた思いがしたものだったが、「近代」がとっくに終わったということに気がつくべきだった。

 さらに言えば、ヨーロッパの視点で日本を見直すことが、とりも直さず日本の近代だったと言える。それができたひと、たとえば、森鴎外夏目漱石は、一方で、日本の目でヨーロッパを見てもいた。江戸の教養人だった彼らは、「近代」を外から見ていたので、それがすぐにでも廃れそうな一時の流行に見えても当然だったと思う。
 日本の右翼の気持ち悪さは、「右翼」というおよそ日本的でない呼称が示すように、漱石や鴎外のような複眼をもちえず、実は、文化の裏打ちのない、薄っぺらな排外主義、自国主義にすぎないことを、「日本文化」と称している、その態度が、右翼の本質的な滑稽さだと思う。ナショナリズムに日本もアメリカもない。トランピアンも日本会議も挺対協もまったく同じ人種なのであって、そこに文化なんて存在していない。
 ナショナリズムは、それがどこの国のものであろうと、文化などではない。ナショナリズムを文化と称している、その薄っぺらさは、「近代」以後の問題なのだった。