『近代の虚妄』反知性主義について

近代の虚妄―現代文明論序説

近代の虚妄―現代文明論序説

 「反知性主義」ってことばを「単なるバカ」という意味とさして区別せずに使っていたが、三島由紀夫が自分のことを反知性主義だと(『三島由紀夫vs.東大全共闘』)いうのを聞いてそういう使い方もあるかと注意するようになった。
 三島由紀夫は、彼の「反知性主義」の敵役として、具体的に丸山眞男を上げていた。いわゆる「オールドリベラリスト」と言われる人たちの「知性」が戦争に対して全く無力であったことに対する反発があることをそのとき三島は言っていた。
 これは興味深いことには、三島由紀夫とは立場が真逆だろう吉本隆明丸山眞男に喧嘩を吹っかけていて、間に立たされた鶴見俊輔が、困ったと発言していたことがあった。
 三島由紀夫はともかく、吉本隆明丸山眞男に反発するのは、ずっと後の世代からすると、じつは、わかりにくい。
 しかし、映画『三島由紀夫vs.東大全共闘』でもわかるように、実のところ、三島由紀夫と東大の全共闘には共感するところが多かった。そして、今にして思えば、その共鳴する部分こそ、反知性主義だったとおもうのだ。あの討論が、当時、キャンパスを牛耳っていた民青の手が及ばない、片隅の教室で行われていたことを思い出す。民青は共産党の下部組織という色合いで、ということは、彼らは、戦前の知性と地続きだということだから、全共闘の学生たちは、それをよしとしなかったからこそ、そこにいたはずだからである。
 『近代の虚妄』の佐伯啓思は「反知性主義」という場合の「知性」は、ニセの教養のことだと言っている。つまり、本来「教養」ではないことを、さも「教養」のように語っているものが「知性」だということだ。
 文明の根拠であるべき「教養」の王位を僭称するものにたいする反発として「反知性」がある。なので、「反知性」は「反教養」ではなく、ニセの教養に対するプロテストなのだが、かと言って、「反知性」が真の教養というわけけでもない。 
 戦前のオールドリベリストたちが戦争に対して無力だったではないかという批判は、確かに、三島由紀夫吉本隆明の世代にとっては、圧倒的に真であったに違いないが、そういう彼ら自身の子や孫の世代から振り返ると、そう言う彼ら自身がどんな価値を示せたのか問うことになるのは当然だろう。
 ニセの王を指弾すること自体は正しくても、真の王を見つけることが出来なければ、誰かがまた別の偽物を僭称することになるだけなのだった。
 そして、結局その繰り返しが現実だろうと達観して、自分たちでニセの王をでっちあげ始めることもまた「反知性主義」と呼ぶべきだろう。それは、アメリカ的なプラグマティズムそのものに見える。トランピアンがそのもたらした帰結であるのは当然として、ナショナリズムの多くはそうした「反知性」をよりどころとしていると思う。
 その「反知性」はもはや「反教養」なのであって、そこでは、当初の批判精神がみごとに裏返っている。2021年のこの時点では「反知性」はおしなべて「ただのバカ」と同じ意味だろう。三島由紀夫がそのことばを吐いていた70年代と今では、言葉の内容はごっそりと入れ替わってしまっている。
 『三島由紀夫vs.東大全共闘』で、本来語られるべきことはあの映画のようなことであるべきでなかった。あそこで語られていたのは、右翼vs.左翼でもなければ保守vs.進歩でもなかった。決起を目前に控えていた三島由紀夫の意識にあったのは、認識vs.行動だったと思う。が、それは本来は対立概念ではない。
 自決の1週間前のインタビューによると「日本の古典の言葉が身体の中に入っている世代は自分たちで終わりだ」と語っている。一方で、10代の頃の日本浪曼派の影響について、「だんだんお里が出てきた」とも語っている。日本の古典と日本浪曼派では、まったくちがうと思うが、三島由紀夫は結局、10代の頃の自分に殉じたということなのだろう。
 佐伯啓思は、そうした反知性主義の源流をプラトンに求めている。ソフィストの技術としての知に、イデアを背景にした真の知を対置したからである。ヨーロッパの終焉は、プラトン以来の形而上学の終焉だと書いている。
 ヨーロッパの世紀末を、ハイデッガーオルテガ・イ・ガゼットを引きつつ、ヨーロッパを貫く形而上学の終焉であるとした部分は迫力があったし、ハイデガーとの関連で、福田和也の『奇妙な廃墟』も思い出した。