
日本橋高島屋で野見山暁治の展覧会が、この会期が2021年の1月9日から18日までと、わずか9日間の短さなんだけれども、開かれている。
野見山暁治は、画家としてとおなじく、おそらく文筆家としても知られているだろう。わたしは、文章は読んだことがあったけれど、絵を観たことがなかった。
今回の展覧会で画業を展望しているとは言えないと思うが、なにしろ、今年で100歳だそうなので、上に張り付けた≪男≫という絵などは、1969年というじだいもあり、どこかデビッド・ホックニーを思わせるオシャレな絵だけれど、今回展示されている他の絵はほぽすべて抽象画で、と同時に、印象派の風景画のようでもあった。抽象画なのに風景画のように見えるって面白いと思う。
似ているということからいうと、ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(たまにフルネームで書いておかないと忘れるので)の吹雪を描いた絵の感じに似ている。
抽象画でありながら、すべてがブラシストロークで、筆で描くことを堂々と主張している。多くの抽象画家はブラシストロークが残ることを嫌うだろうと思うのだ。
その意味では、フォーヴや表現主義に近い表現だと思う。高島屋という場所柄、6階の画廊でも同時に野見山暁治が展示されていたが、そちらは小品が多かった。やっぱりでかい方が迫力がある。マーク・ロスコは「サイズは重要だ」と言っていた。
このコロナ禍で、日本橋高島屋は、クラスター対策のためにエレベーターも原則は使わないようにしていた。もちろん展覧会も予約制。東京には美術館、美術展が多くて、ふらりと出かけられるのが魅力だったが、今はそういうわけにもいかないのが残念だ。
とはいえ、日本橋高島屋にでかけるなら、すぐそばのアーティゾン美術館に行かない手はないだろうということで、こちらは、コロナ禍になる前から予約制だったので、なかなか行きにくかったのを、今回は勢いづいてポチったわけだった。
無料のアプリをダウンロードするとスマホで音声ガイドが聴かれるようになっていて、絵の前に来るとその絵がスマホに表示されてガイドが聴ける。
それから、昔のブリジストン美術館時代とちがい、いまは、多くの作品が撮影可になったのもうれしかった。

展覧会と関係ないことから書いておくと、休憩用の展望室の椅子にACコンセントがあってスマホが充電できるのもありがたかった。というのは、音声ガイドがけっこう電力をくうみたいなので。
展覧会は「琳派と印象派」。
鈴木其一の≪富士筑波山図屏風≫。


鈴木其一の富士山が美しいのは、シンボルではなく、実体としてのこの山を観ているからだ。右隻の富士山に左隻の筑波山のふたつの青い稜角が等しい重さで対応している。これは、鈴木其一が実際に観ているからかもしれないが、それよりも、江戸時代のイメージが豊かだからだろうと思える。
遅くなったので、他の絵はまた。