Q-anonはアメリカ人を代表するか、しないか

  
 この本について書きすぎている。バカの何とかみたいなんだけど、ひとつには網羅的なので引き合いに出しやすいってことと、さらに大きいのは、タイムリーすぎた。
 今年のお正月休みにこの本を読んだ。

ポピュリズムをその言葉通りに理解すれば、ポピュリズムとは、民衆の要求や情念によって政治が動くこと(民衆主義)であり、ポピュリズムを民主主義と対立させることなどできるはずはない。民主主義はその本質にポピュリズムを胚胎しているのだ。

民主主義の死に方(How Democracies Die)』という書物の中で著者スティーブン・レビツキーとダ ニエル・ジブラットはこう述べている。 アメリカ政治を機能させてきたものは何か。それは、「相 互に対する寛容」と、「組織的な自制心」であった。

そうだとすれば、この見方からは、民主政治に対するある種のリアリズムが浮かび上がってくる。「相互的な寛容」や「組織的な自制心」や「手続きへの信頼」が民主主義を支えるとしても、これらの「暗黙の規範」そのものは、民主主義の中から生み出されるわけではないのだ。いや、政治的でさえない。それは、ひとつの国の自生的な文化や歴史的経験、社会的な意識の中で形成されるほかない。

とすれば、政治的言説は、少なくとも民主政治においては、まず基本的にはすべてがフェイクというほかないのであり、政治は、たえず、その本質であるデマゴーグポピュリズムへとなだれ込んでしまうであろう。そのことを前提にするからこそ、対立者への「寛容」と自己自身への「自制」と制度化された「手続きへの信頼」が必要とされたのである。それらがかろうじて、民主政治の根本にある権力への熾烈な欲望を「むき出しではない権力闘争」へと置き換えてきたのである。

民主主義の根底にあるものは、「寛容」や「自制心」や「手続き」によってしか緩和することのできない「敵対」である、ということなのだ。

という内容の本を私が読んでいたとき、ほとんど同時にアメリカで連邦議会議事堂襲撃事件が起きていたのだ。
 ジョー・バイデンは、あの襲撃犯たちを「アメリカ人を代表する人たちではない」と言った。しかし、今度の大統領選挙でトランプは7200万票を獲得している。そして共和党には、今回議事堂を襲撃した暴徒と同じくq-anonを信奉している下院議員すらいる。
 ジョー・バイデンの言うように、これらの人々はアメリカを代表していないだろうが、傍目には少なくとも「代表しかねない」ようにみえる。控えめに言っても、アメリカ人のひとつの典型だとは思わざるえない。
 日本にネトウヨがいるように、アメリカにも、この手のアメリカ人っているよねって、ちょっと身構える気分になる。

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