統帥権干犯問題

 「野党の途中退席で陛下の内奏遅れる」というバカみたいな記事が産経新聞に載った。「だから?」ってことなのだ。陛下への内奏が遅れないように国会の議論を早目に切り上げろとでも言いたいのか?。それとも、天皇陛下が、内奏が遅れるのはけしからんと、国会のありかたにものを申したとでも仄めかしているのか?。
 あいも変わらぬ「天皇の政治利用」に呆れてしまう。 
 奇しくも週刊文春に連載中の「出口治明の0から学ぶ「日本史」講義」に「統帥権干犯問題」が取り上げられたばかりだったので感慨深い。というほど遠い気持ちではなく、何かもっと皮膚感覚として気持ちが悪い。
 統帥権干犯問題についてはここに書いた。統帥権干犯問題は、日本を立憲君主国から軍事独裁国へと転換させた元凶だった。
 統帥権干犯問題は、醜悪で愚劣としか言いようのない妄言にすぎないし、当事者もそれは内心わかっていたはずなのである。そういう妄言を権謀術数のために、当時の政治家が弄んだがために、未熟な政党政治軍国主義に席巻されてしまった。その急先鋒が鳩山一郎という人だったし、黒幕は北一輝という法華経信者だった。政治のプレーヤーは、21世紀の現代とあまり変わらない気がするのだがどうだろうか?。
 統帥権干犯問題については、リンクした記事に書いた以上のことは書けないが、あの記事では「日本に不利な軍縮」と書いたが、今度の出口治明の記事を読んでますます呆れたのは、ロンドン軍縮の米英10に対して日本6.95という比率は、むしろ、日本に有利でさえあったという。なぜなら、アメリカのGDPは日本の5倍だったのだから、GDPの比率どおりであれば、10対2であってもおかしくないものを10対7に抑制することができた。しかも、アメリカ海軍は太平洋だけでなく大西洋にも海軍を配置しなければならないので。
 つまり、日本に不利だったわけでもなく、統帥権干犯などではもちろんない、そもそも何でもないことを政争の具として利用した。そのことで、政治家自身が政党政治の息の根を止めたのだった。
 ロンドン軍縮会議の1930年に当時の首相、浜口雄幸が右翼に狙撃される。翌31年には陸軍によるクーデター未遂事件(三月事件)が起こる。そして、その年の九月に板垣征四郎石原莞爾柳条湖事件によって満州事変の口火が切られた。
 柳条湖事件を受けた閣議では、幣原外相が「現地の軍部の策謀」と報告。若槻首相は軍に行動停止を命じた。ところが林銑十郎司令官はこれに背いて勝手に軍を動かした。
 軍を動かすには内閣の承認と天皇の命令が必要であるにもかかわらず、勝手に軍を動かした。これは、ロンドン軍縮会議とは違って、明確に「統帥権干犯」である。ところが若槻禮次郎は、この明白な軍規違反をズルズルと追認してしまった。
 陸軍は全国で1800回以上の講演会を開いて国民を煽った。そして国民もこれに乗せられた。それがのちの五・一五や二・二六につながっていく。
 あっというまに政党政治が終焉を迎えてしまった。その天皇の政治利用の歴史を知りながら、「野党の途中退席で陛下の内奏遅れる」などという愚にもつかない記事をよく書けたものだ。
 当時のマスコミは何をやってたのだろうか?。新聞社こそ戦争責任をまったくとっていないので、21世紀の今になって、こんなことを繰り返すのだろう。

野党の途中退席で陛下の内奏遅れる - 産経ニュース

ロンドン軍縮会議の結果を「統帥権干犯」と騒ぎ立てた軍部のやり方をまた繰り返している。これが今でもまだ有効なら日本人にちょっと驚くね。

2021/02/11 06:41