『人新世の「資本論」』読みました

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

 上の3冊を読んだ。
 『家族を想うとき』、『私はダニエル・ブレイク』を撮ったケン・ローチ監督は、「由緒ただしい」って感じの左翼。マルクスが『資本論』を書いたイギリスということもあり、マルクスの思想がロシアみたくねじ曲がらずにイギリスで発展していれば、多分こういうことなんだろう。是枝裕和が「労働者階級」を言ったらウソなんだと思うが、ケン・ローチがそれを言うときは説得力がある。
 しかし、ケン・ローチ監督の言論よりは映画の方が伝わるものが多い。映画がなくて言論だけなら、人を立ち止まらせることも難しかったろうと思う。正しいか正しくないかは別にして、言論だけを聞いているとガチガチの左翼の従来の主張との違いを見わけにくい。対談では、是枝裕和はちょっと引いてるように見える。
 これに対して、斎藤幸平はMEGA(Marx-Engels-Gesamtausgabe)と言われる、膨大なマルクスエンゲルスの全集刊行に携わっている研究者のひとりなので、言説が最新のマルクス研究に基づいて興味深い。特に、『資本論』第1巻の刊行後の最晩年にマルクスが取り組んでいた環境問題についての考察が目新しい。
 この人は最近露出が多いのか、私がたまたまよく見かけるのか、上の伊集院光の「100分で名著」だけでなく、坂本龍一のFMのラジオ番組にも出演していた。その時、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』について話していたのが、個人的にはこの人に興味を持ち始めたきっかけだった。
 マルクスの言葉でいうと
「機械は労働者を労働から解放するのではなく、労働を内容から解放する」
一言で言うと「疎外」なんだけれども、「疎外」については、吉本隆明の『カール・マルクス』で私は学んだ。
 ソ連崩壊直後は、近代経済学者たちがマルクスをこきおろして快哉を叫んでいたものだったが、時代がふたたびめぐり、今またマルクスの言論が注目を集めている。もちろん、そもそもソ連の体制がマルクスの思想を体現しているのかという疑義は大いににあったが、その声は冷戦終結後のアメリカの独り勝ち状態の世界ではかき消され、自由主義経済の問題点をチェックしようという試みはなされなかった。
 凡百の評論家が口にする「新自由主義批判、市場原理主義批判」ではなく、資本主義そのものを真っ向から批判しているのが小気味いい。「新自由主義批判、市場原理主義批判」は、しょせん資本主義経済の延命処置にすぎないではないかということなのだ。
 資本主義が破滅に向かっているのはもう抗いようのない事実に見える。それは、alternative factではなく、simple factに見える。資本主義は囲い込みから始まったのだから、東西冷戦が終わり、自由主義経済が全世界を覆い尽くし、囲い込むものが何もなくなれば、あとは自分の手足を食い始めるしかない。それはもう自由も新自由もないただの野蛮状態にすぎないではないか。
 疎外からの脱却、公共性の回復といった目標のために、どのような行動が可能かという問いに、フランスやスペインの先進的な試みも紹介されているのが面白かった。フランスの黄色ベスト運動は、日本ではデモとか暴動の部分しか目につかないが、根本的にはやはりフランス的な進歩的な考え方なのだった。特に、マクロン大統領が現に実行したくじ引き民主主義の成果には驚いた。
 日本の政治家の劣化には目を覆うものがある。アメリカのトランピアンの跋扈を見ても、はたして選挙というシステムが民主主義にとって有益なのかと言う疑問は浮かんでくる。それに対する一つの試みとして、くじ引きで議員を選ぶのはありだと思う。そう言うことが、自立的な歴史のなかで民主主義を育んできたフランスやイギリスで試みられているのが素晴らしい。
 世界で2億人以上の農家が参加しているという、スペインのヴィア カンペシーナ運動など、やはり欧州から始まっているのが、うらやましいし頼もしい。また、日本人としては恥ずかしい気持ちにもなった。日本の民主主義は借り物なのでこういう大胆な実験ができないのだろう。
 日本は欧州と近代を共有していると、以前書いたが、日本は未だに近代にとどまっていて、その近代を金科玉条と崇め奉っているのが情けない。この間、森喜朗元首相が女性蔑視発言でJOC会長を辞めた。その発言について、「よくよく聞けば女性蔑視ってほどじゃないですよ」的な意見を見かけるのだが、オリンピックっていう国際的な行事を取り仕切るべき立場にある人の発言について、そんなレベルの議論で止まっているのがどうしょうもない。また森喜朗元首相の功績について云々の議論についても、功績の評価ポイントが全く間違っている、という日経新聞の記事がバズっていた。
 佐伯啓思の『近代の虚妄』は、欧州の思想と日本の思想を対比させ、東洋的な思想の可能性を示していたが、具体的な行動については言及されなかった。ひとつ引っかかっていたのは、欧州の思想を古代ギリシアから説き始めることは、それ自体が、実は、欧州自身による自画像ではないのかという点だった。吉田健一が『ヨオロッパの世紀末』、『ヨオロッパの人間』で示したように、欧州の出発点はキリスト教で、古典古代はルネッサンスになって初めて入ってきたというのが正しい気がする。
 西欧の思想は行き詰まっている、だから、東洋の思想に可能性がある、という言い方は、正しいとも思うが、言い古されてもいる。それは下手をすれば、「日本エライ」「日本すごい」的な言論に着地するだけかもしれない。それよりも、くじ引き民主主義やヴィア・カンペシーナのような実践に可能性をみたい気がする。

カール・マルクス (光文社文庫)

カール・マルクス (光文社文庫)

森氏辞任に考える 日本社会に残る無意味な風習: 日本経済新聞

ユベロス氏は「税金を一銭も使うことなくロス五輪を黒字化させた」という実績を持っています。これが本来、語られるべき功績の具体的な定量性であると思っています。

2021/02/19 14:30

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