言葉がまったくわからなかった。ハンガリーの映画だそう。
主人公はホロコーストで家族を失った42歳の医師と16歳の少女の2人。時代は1948年とか、まだ戦争が終わったばかり。少女は大伯母と暮らしているが、心の傷がいえず、初潮が遅れている。心配した大伯母と医師に相談しにきた。
年齢の設定が抜群にうまいと思った。現代の感覚では恋愛に発展してもおかしくないギリギリの歳の差じゃないだろうか。
現に、2人は半同棲の暮らしを始める。現代の感覚ならそれは恋愛関係ととられそうだ。ホロコーストの生き残りであることを無視するならば。
少女がずっとこのままでいたいと告白するセリフで、このセリフはどこかで聞いたことがあったと考えていた。思い出してハッとした。小津安二郎の『晩春』で原節子が演じた娘、紀子が、結婚を前にした旅の宿で、父親(笠智衆)に告白するシーンとほとんど同じじゃないか。
さすがにこの映画が小津安二郎の影響下にあるとは思えない。偶然に似てしまったのだと思う。『晩春』については、「父と娘の疑似恋愛」といった穿った批評が出て以来、なんとなくそれが定説にされてるような気配をがあるけれども、あの映画の時代、日本はまだアメリカの占領下だった。紀子は「戦争で無理に働かされて」からだをこわした。少女の時代を戦争に奪われた。
そういう紀子がようやく安定を取り戻しかけた頃に「このままでいたい」と言うのを、父子相姦だとか考えるのは、あまりにも無神経だと思う。あのときの紀子はむしろ少女がえりしているのだと思う。失った少女時代を取り戻そうとしている。父親はそれがよくわかっている。だから、あのときの笠智衆のセリフが涙を誘う。
前に、『晩春』は、射程距離の長い反戦映画だと書いたことがあるが、その射程距離が2019年のハンガリーの映画にまで届いているのに感動する。
『この世界に残されて』と『晩春』が似ている点は他にもあるが、『この世界に残されて』の場合は、戦後のありさまが違う。アメリカの占領下にあった日本と違って、ハンガリーはソ連の支配下に置かれていたから、ナチスが過ぎ去ったからといって、まだ何も終わっていない。時代が影を落としている。
スターリンの死とともに映画がハッピーエンドを迎えるのはとても皮肉。観客は、特に、ハンガリーの観客は、この後、この家族がハンガリー動乱を迎えなければならないことを知っている。この世界に残されたこの人たちがハンガリー動乱後にも残されているかどうかわからない。ラストの団欒がまたふりだしに戻りかねない。そんな無限ループの感覚を呼び起こしかねないことをじゅうぶん意識したラストシーンなのだろうと思う。
ベルリン映画祭で金熊賞を受賞したハンガリー映画『心と体と』とスタッフが共通らしい。ハンガリー映画、侮りがたい。