『ミナリ』

『ミナリ』と『春江水暖』は対照的に感じた。
 『春江水暖』は、ちょっと四季耕作図とか四季花鳥図みたいに、一枚の屏風に四季を全部描き込んだような、東洋的な時間感覚さえ感じさせる。
 『ミナリ』は韓国の家族を描いているんだけど、韓国映画ですらない。ハリウッド映画かどうかはあれだけど、アメリカ映画なのは確かで。西部開拓史の時間軸を少し動かしてみただけともとれる。
 主役は『バーニング』のクールガイぶりが印象的だったスティーヴン・ユァン。製作総指揮もこの人。この人はそもそも韓国系アメリカ人なんだが、韓国系アメリカ人のアイデンティティはどうなっているのか興味深い。
 『春江水暖』の中国純度はかなり高いのに対して、『ミナリ』に韓国文化の背景なんてものはない。
 『春江水暖』の古典的とも言えるリリシズムに比べると『ミナリ』は散文的に見えちゃう。これも、だから悪いってことじゃない。
 『ミナリ』は、韓国のおばあさん「オモニ」を新鮮に感じられるかどうかで評価が分かれるかも。と言いつつ頭に浮かんでいるのは『ノマドランド』のアメリカのおばあさんたちの衝撃。あの人たちは役者じゃなくて本人だから。そうなると、すごみ、重みがやっぱりちがう。
 今週の週刊文春町山智浩が『ノマドランド』について書いてた。ラジオのたまむすびで言ってたこととはちょっとニュアンスが違っていた。Amazonでの仕事のキツさについて映画ではちょっとぼやかしてるってことだった。それでも日本の派遣社員の条件よりマシだそうだ。いずれにせよ、正負どちらの面からも語れてしまうのがあの映画の魅力。
 同じ週刊文春池上彰アメリカで黄禍論が復活しているってことを書いていた。こないだアジア人のおばあさんが襲われてニュースになった。襲ったのが黒人だったのでちょっとマスコミの筆が鈍っている。だってこないだまで「black lives matter」つって、アメリカだけじゃなく世界中デモがあったのに、「いやいや」ってことじゃないですか?。「yellow lives matter ,too!」なんてデモをしなきゃならんのだろうか?。そうなると「white lives matter」つってるのと同じに聞こえてしまわないか?。
 この記事によると
「1992年のロサンゼルス暴動の際には、韓国系と黒人の間の緊張がひどく高まり、街中での銃撃戦にまで発展した。」
 この映像はニュースで見て憶えている。白昼の街中で韓国人が拳銃をぶっ放していた記憶がある。この映画の中でも触れられているが、このころ多くの韓国人がアメリカに移住してきていた。後から来たやつが前からいたやつに拳銃をぶっ放してる。あんまりいい感じは持たなかった。韓国の移民は難民ではない。ある程度の経済力を持って来ている。
 この主人公もそういう移民のひとり。ひよこの鑑定士をしている。腕がいいらしいことが仄めかされている。彼がロサンゼルスからアーカンソーに移ってくる動機が実は曖昧。単に、大農場のオーナーを夢見るノーテンキな性格と取れなくもないし、そう取ってもいい。しかし、鑑定士仲間と「教会に行かないのか?」「韓国教会が嫌でこっちに移ってくる人もいるのよ」なんて会話が交わされる。
 韓国のキリスト教は、興味のある人は自分で調べてもらいたいが、明治以降に仏教や儒教と対立しつつ近代化とともに受容されてきた日本の場合とは全く違う。個人的な印象では韓国のキリスト教と軍事政権は表裏一体をなしている。
 『ミナリ』がそういう生々しい背景をほぼ無視しながら、「オモニ」にフォーカスしてストーリーを進めていくことに個人的には軽い苛立ちを感じた。最後に「すべてのオモニに捧げます」と献辞が出る。「オモニの映画だったの?」というはぐらかされた思いになった。おばあさんは歴史の波をただ受けるしかない立場だと言えるだろう。その部分だけ描いていいのかという思いが少しあった。
 ついでに、小さな疑問としては、主人公が農園の水に苦労する。一方で、オモニは小川のほとりで「ミナリ(韓国語でセリのことだそうだ)」を育てる。敷地内に小川があるなら、何も井戸を掘らなくても、そこから水を取ればよさそうだが。
 こんなふうにストーリーの表面に比べて、描かれていない裏側がずいぶん大きく感じられるんだが、描かれていないだけで、嘘が描かれているわけではない。それをよしとするか物足りないととるかだが、個人的にはポジティブに捉えたい。
 主人公は、冒頭でバカにしていたダウジングで井戸の水源を見つける。結局、アメリカのやり方を受け入れることに決めたってことなのだ。たぶん小川から水を取らなかったのは、この展開のためだったと思われる。描きにくい背景はどうあれ前向きに生きていくことを選ぶリアリズムを描きたかったのだろう。描いていない時代背景はこっちが勝手に勉強すれば良いのかもしれない。スティーヴン・ユァン自身は何と言っても当事者なのだし、もっと多くの語られないことを、当然、身にしみて知っている。
 ラストにはけっこう大変なことがあったにもかかわらず、さらに前向きに生きることを選ぶ主人公に、語られない背景の重みを感じた。『春江水暖』のリリシズムは、台湾やウイグルの問題にまで想像力を広げられないからこそのリリシズムだととれるわけ。中国の歴史という縦糸、漢民族という横糸のほんの一隅で生きていくしかない庶民のリリシズム。
 それに対して『ミナリ』のリアリズムは、祖国を捨てて新しい土地で生きていくしかない庶民のリアリズム。そこでは、歴史の縦糸も時代の横糸も言い訳にしても仕方ない。だからこそオモニなのか、それともオモニではないのかってあたりに判断を迷った。オモニはリアリズムの中のセンチメンタリズムだと思うので。


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