『シカゴ7裁判』観ました

 入管法の改悪がとりあえず回避されてまずはよかったけれど、今回の取り下げは選挙目当ての批判回避行動にすぎないので、今後もどさくさに紛れて法案提出されるおそれは残るし、そもそも10年も前から日本の入管は国際的な批判に晒されてきたので、今回の法案を待つまでもなく、入管の人権蹂躙はただしていかなければならなかった。
 国際社会の一員として、日本も難民を受け入れる義務がある。日本の難民にたいする現在の仕打ちがもっと世界に晒されるようになれば、日本を見る目はずいぶん変わるだろう。
 『海は燃えている』のジャンフランコ・ロージ監督も、来日インタビューで初めて日本の難民受け入れの状況を知って「政治的な敗北だ」と呆れていた(・・・昨日、日本の難民受け入れ数を聞いて驚きました《2015年の難民認定申請者7,586人のうち難民認定者数は27名。》(略)このような態度は政治的敗北をさします。・・・)。
 そもそも難民は浮浪者でもなければ犯罪者でもない。自国の状況が平穏なら何不自由なく暮らしていた人たちなので、受け入れ体制次第では、インバウンドも難民も同じなんで、日本の暮らしにスムーズに定着してもらえる環境を整えるのが政治の仕事ってもんでしょうに。むしろ、少数を受け入れるより多数受け入れる方が環境を整えやすい。彼ら自身が孤独を感じないですむし、自然にコミュニティができて行動に抑制が生まれる。
 ところが、自公政権のやってることといえば、家族を引き裂いて、孤独死させてる。犯罪者扱いしていびり殺してってことを税金でやってる。人間的な非道ぶりをひとまず脇に置いても、政策としても下の下。周辺国家にわざわざ反感を植え付けてるって意味では創氏改名以来の愚策だと思う。愚策ぶりが戦時中の軍事政権と変わらない。まあ、靖国日蓮信者の連合政権という意味では顔ぶれも一緒なんだから仕方ないかも。
 というような話から始めたのは、『シカゴ7裁判』を見ると、ベトナム反戦時代のアメリカの裁判も、今の日本に負けず劣らずひどいもんだったんだなと思ったわけで、とにかく些細な努力でも、声をあげて、行動を起こしていかないといけないんだなって気分になりました。
 この監督のアーロン・ソーキンって人は、昔NHKでやってた『ザ・ホワイトハウス』の脚本と製作総指揮をしてた人で、映画では、『ソーシャル・ネットワーク』とか『マネー・ボール』とかに関わっている。つまり、映画にするのが難しそうな題材をエンターテイメントにするのがすごくうまい。『スティーブ・ジョブズ』もこのひとの脚本だそうです。
 法廷劇に定評のあるアーロン・ソーキンだからなのかなぁ。熱くなりました。black lives matterの要素もきちんと重ねられている。
 キャストもよいです。マーク・ライランスの困り顔の弁護士がよい。『ダンケルク』のときはイギリス人、『ブリッジ・オブ・スパイ』のときはロシア人、そして今度はアメリカ人なんだけど、とにかく何か信頼できそう。エディ・レッドメインのお坊ちゃんぶりもよい。マイケル・キートンの元司法長官も貫禄がある。トリックスター的な革命家、サシャ・バロン・コーエンと、良きパパでありながら反戦運動を率いるジョン・キャロル・リンチのあの感じは、日本にはあまりないタイプなのかも。
 時代は1968年、ノルベルト・フライや小熊英二など多くの歴史家が指摘するように、この年、世界中の若者がまるで連帯したかのように抗議の声を上げた。今では信じられないことに、日本でもそうだった。その後の半世紀が国の民度を表していると言われても反論できそうもない。ともかく日本は入国管理局が平気な顔して人を殺す国になった。
 シカゴ7は、1968年、シカゴで行われる民主党大会に合わせて、ベトナム反戦を訴えるために全米から集まってきた抗議団体の代表者たち7人のこと。そのデモのときに発生した暴動の責任が、民主党政権下では追及されなかったのに、ニクソン政権になった途端、裁判にかけられることになった。初めから何かキナ臭く、きわめてアンフェアな裁判が進められていく。歯ぎしりしたくなる。いい大人が熱くなれる秀逸な法廷劇でした。
 コロナ禍で劇場公開は断念してNetflixに権利を売ったそうです。大変な一年でしたけど、アメリカではワクチンの接種が進んで平静を取り戻しつつあるそうですね。わが国を振り返ると、夜出歩くなとか、酒呑むなとか、高校の生活指導みたいなことしか言わない政治家しかいない。情けないです。

 ただ、ひとこと蛇足を付け加えるとこの日本語タイトル『シカゴ7裁判』じゃなくて、せめて『シカゴ・セブン裁判』じゃなかったかなと思います。


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