『ファーザー』

『ファーザー』についてこぼれ話から始めると、今年のアカデミー賞は例年とちがい、式典の最後を作品賞でなく主演男優賞の発表で締めくくった。
 なぜこんな異例の演出がなされたかというと、先ごろガンで早逝したチャドウィック・ボーズマンが『マ・レイニーのブラックボトム』で主演男優賞を獲得することが確実視されていたからで、もしそうだったら感動的なフィナーレになったに違いないが、演出家の意に反して、大方の予想を裏切って、『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスが受賞してしまった。
 アンソニー・ホプキンスはコロナ禍でアメリカに来られず、受賞発表の際はウェールズの自宅で熟睡していたそうだ。
 なんとも締まらない授賞式になったわけだが、これで米アカデミー賞選出の公正さが証明されたともっぱらの噂になった。
 しかし、『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスの演技はアカデミー賞受賞してもなんの不思議もないわけで、この演出家は、けっこう無謀な賭けに出たもんだったと思うんだけど、アンソニー・ホプキンスは今83歳だそうだから、これって年寄りをバカにしてたってことなんじゃないだろうか?。黒人差別の批判をおそれて代わりに年齢差別していたっていう。
 認知症を扱った映画も歴史を重ねてきて、ジャンルを確立したかの感がある。古くは有吉佐和子原作、森繁久彌主演の『恍惚の人』とかも入るのだろうか。ミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』、ジュリアン・ムーアがアカデミー主演女優賞を受賞した『アリスのままで』とか。
 他にもきっといっぱいあるのだろうが、私自身の思いつくそれらの過去作品と比べて、映画表現としての認知症が完成型に近づいてきたかの感があった。もとは舞台劇だそうで、アンソニー・ホプキンスが主演してくれるとわかってから舞台をイギリスに書き換えたという。
 皮肉なことに、アンソニー・ホプキンスの演技が見事であればあるほど演じられている症状との差に驚かされることになる。こんなスーパーなおじいさんもいると舌を巻いてしまう。
 映画は認知症の進行する主人公の側に視点を置いているので、病院系の映画より『ツィゴイネル・ワイゼン』とか『シックス・センス』みたいな怪異譚の味わいに思えた。
 言い換えれば、ひどく表現主義的になっているように思えた。もちろん、映画としての完成度はすごく高いのだけれども、仮に、この10年後、アンソニー・ホプキンスがこの映画のように、認知症を発症したとしたら、私たちはこの映画をどんな気分で観るだろうと思ったわけ。たぶん「10年前はあんなに堂々とした演技をしていたのに」と思い返すと思うの。奇妙なパラドクスに思える。
 どうせ誰にでもいつかは訪れる老いと死について、どうして私たちはこうも尽きせぬ興味を抱き続けるのか。20世紀を通して戦争と犯罪に寄り添ってきた映画が、こんどは老いの上に虚構の塔を築きあげようとしているかに見える。結局、人は自分の物語を回収して死にたいと思うものなのだろう。その願いの切実さはもちろん無視できない。

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