『JUNK HEAD』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』

 『JUNK HEAD』の監督(というかほぼ全部)をした堀貴秀が「激レアさんを連れてきた」に出てた。
 私としては、『JUNK HEAD』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を比べてみたい気持ちになる。圧倒的なオリジナリティの天才という意味では似てると思う。でも、どちらを勧めるかともし問われれば、現時点では『JUNK HEAD』を勧めたい気分。そもそもしなくてもいいこんな比較はただ迷惑なだけだろうけれど、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の難産ぶりはいかにも息苦しい。これに比べれば『JUNK HEAD』にかかった7年間は何か楽しそう。
 テレビアニメのエヴァンゲリオンに何の知識もないので、序・破・急の三作品をAmazon primeで予習して臨んだ。難解という評判が高いのだけれども、最初から理解するつもりがないせいか、そんなに難解とも思わなかったんだけど、難解に見えるのは、難解というよりむしろ極私的というかパーソナルというべきなのではないかと思う。わからない部分は分からなくていいんじゃないだろうか。
 いずれにせよ、もし難解なのだとしたら、それは欠点でこそあれ、褒められたことじゃない。『シン・ゴジラ』の最初のところに『春と修羅』が出てきたのを思い出した。そういうことをすんじゃないよ、と思ったものだった。
 その一方で、野村萬斎モーションキャプチャーしてゴジラを演じさせ、ゴジラの身体的な説得力を与えるなどのビジュアルは秀逸だった。これは共同監督の樋口真嗣の力量にも与ること大なのだろう。
 樋口真嗣といえば『進撃の巨人』の、特に、2が上手くなかったので、総合プロデュース力では庵野秀明の力量を認めざるえない。
 同じことは『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』にも言えて、そのエンドロールの長さがすごい。これについては『JUNK HEAD』と比べるとおもしろい。『JUNK HEAD』のエンドロールの右側はほぼ全て堀貴秀で、その他の名前は3、4人しかない。これは「激レアさん」のスタジオでも受けていた。
 絵に関して庵野秀明自身はおそらくほぼ描いておらず、鶴巻和哉前田真宏、本田剛司が実際には作画している。この画力は圧倒的。映画館で他のアニメの予告編とか観ると悲惨な気分になる。この辺のことは「アフター6ジャンクション」のポッドキャストの「「エヴァ」シリーズの”作画”を総括してみる!特集」で、アニメーターの井上俊之が詳しく語っているので興味のある方は聴いてみるとよい。ポッドキャストからしばらく残っている。
 ほかの対談では、碇ゲンドウの脳みそが吹き飛ぶシーンは、現場が勝手に描いたと語っていた。もうそういう域なんだと勝手に納得した。
 興収80億円を突破した時のインタビューでは「ロボットアニメがこの興収を挙げられたのは次につながる」という意味のことを言っていた。
 次ってつまり「シン・ウルトラマン」、「シン・仮面ライダー」なことなので、そこでもしエンタメに徹しきれないと観客に見透かされるってことはあるかもしれない。未消化のストーリーを圧倒的な絵力で押し切るっていう。ゴジラウルトラマン仮面ライダーもたしかにそれが可能なビジュアルの地力を持っている。だからこそのリメイクだってことを、また難解になると観客に見透かされると思う。
 『JUNK HEAD』の堀貴秀は内装業が世を忍ぶ仮の姿なのだそうで、セットの圧倒的なホンモノ感はそこだと納得した。
 チケットを買う時「字幕版」ってあったので「日本人の映画を日本で観るのに字幕版?」って不思議に思ったのだが、声優もひとりなので、苦肉の策としてこうなってるわけだった。
 ひとりで全部やるって衝動から、たぶん庵野秀明も始まってると思う。この人たちに共通してるのは、まわりに大人が1人もいないってところから始めてることなんじゃないかと思う。それが『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』では、実写版かよ!ってエンドロールになるくらい他人を巻き込んでいる。
 そういうことってそんなにたびたびは起こらない。テレビではダウンタウンがそうで、ダウンタウンの世界観にテレビ全体が巻き込まれたって感じはある。
 庵野秀明の場合、パーソナルな価値観はエンタメになりきれないまま、そういうコアな存在になってしまったが故の難解さなんだろう。ダウンタウンみたいに目の前に観客はいないし。
 

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