『喜劇とんかつ一代』小林信彦 これがニッポンの喜劇人だ

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喜劇 とんかつ一代

 
 シネマヴェーラ渋谷で始まってる「小林信彦 これがニッポンの喜劇人だ」の中から『喜劇 とんかつ一代』と『東海道弥次喜多珍道中』、『雲の上団五郎一座』を見た。
 なかでも『喜劇 とんかつ一代』は『幕末太陽傳』の川島雄三監督作品で、やはり作品の作り込みがいちばん贅沢。『幕末太陽傳』の品川遊廓と同じくセットの建て込みが素晴らしい。当時の大道具さんは事実上、数寄屋大工なんだと思う。
 役者を追いかけながら、とんかつ屋の暖簾をくぐり、調理場に入ったり、2階に上がったり、2階から下を覗いたりの縦横無尽のカメラワークが素晴らしい。当時、GoProも iPhoneもないわけだから、すべてでかいカメラをクレーンに載せているか、レールを敷いて撮っていると思われる。森繁久彌淡島千景が追い回すシーンがすばらしい。それを可能にしているのがあのセットなはずで、カメラと緻密な共同作業をしていると思う。ただ、こう書きながら、実際にどうやって撮ったかきちんとはわからない。
 主演男優と女優は駅前シリーズと同じく、森繁久彌淡島千景、そして、フランキー堺。漏れ聞いたところでは小林信彦淡島千景のファンだっと思う。「駅前」シリーズもそうだけど、特にあざといシーンがあるわけでもないのにそこはかとなく艶っぽい。
 淡島千景の甥にフランキー堺、「未来食クロレラ」を研究している貧乏学者に三木のり平加東大介のフレンチレストラン(モデルは上野の精養軒らしく常に動物園の鳴き声が聞こえているのが笑える)、森繁久彌とんかつ屋、そして三木のり平クロレラ、という食をめぐるコントラストが効いている。三木のり平池内淳子夫妻を訪ねる客がクロレラをご馳走させられるシーンがリズムになってて、やっぱり川島雄三ってすごくコメディーが分かってた人なんだと思った。小林信彦の小説「唐獅子株式会社」で一行が創作料理を振る舞われるシーンを思い出した。
 川島雄三が45歳で急逝したのがすごく残念。ましてや、フランキー堺にとっては大打撃だったようで、川島雄三と温めていた写楽についての映画を彼の死後30年以上あとに実現している。
 『幕末太陽傳』は、にっかつ創立100周年記念にデジタル修復版が上映された押しも押されもせぬ名作なんだけれども、フランキー堺の回顧するところでは、封切り当時は、当時あった「フランキーもの」のひとつといった程度の認識であったらしい。そういう名作意識みたいなものの影すらないのがまた名作の名作たる所以だろう。全てがすばらしい。
 あそこまでの名作ではないにしても、この『とんかつ一代』も、今回観た他の2作に比べて、骨格も肉付きも断然大がらだと思えた。フイルムの保存状態も比較的よく特に気になる傷はなかった。
 これに比べて『東海道弥次喜多珍道中』のフイルムは、鑑賞してるうちに慣れてくるとはいえ、いくらなんでも状態が悪すぎる。
 監督は近江俊郎で、わたしには晩年テレビに出てた頃のイメージしかないけれど、これは、人柄が表れているというべきおおらかな出来上がり。この頃の明治維新のイメージが大衆に共有されていたのがよくわかった。『るろうに剣心』なんかもこの延長線上にあると言えるかも。特に笑えるところはなかったけど、嫌味のないドタバタ劇に仕上がっている。むしろそれは当たり前で、川島雄三がやっぱりすごいんだと納得した。
 由利徹南利明三木のり平の個人技を観るには『雲の上団五郎一座』の方がよい。フランキー堺の弁慶勧進帳もさすがだ。
 女性トラブルでどさ回りに出た劇団が、自称演出家の調子のいい口車に乗せられ、大真面目なお芝居をやってるつもりがいつのまにかコメディー劇団として成功していく。三谷幸喜好みのシチュエーションコメディーで、味付けを変えれば今のコメディアンを使って再利用できそう。この映画のあとテレビシリーズ化されたそうだ。
 1962年封切りだそうでエノケンは病魔がだいぶ進んでいるはずだが、「まさかこれ義足なの?」と、一瞬冷やっとした。
 八波むと志は1964年に交通事故で亡くなるので、由利徹南利明脱線トリオが勢揃した映画としても貴重なのかも。

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雲の上団五郎一座