小林信彦の連載エッセーが終了

 たまたま先週の木曜日休みを取った。いつも仕事帰りのコンビニで買う習慣だったので、うっかり先週の週刊文春を買い忘れていた。何と、小林信彦の連載がこの号で終わるそうだ。
 これで、来週から週刊文春を買うかどうか迷わなきゃならない。坪内祐三福田和也の対談が終わった後、週刊SPA!も結局いつの間にか買わなくなったし、中沢新一のアースダイバー終了とともに週刊現代も買わなくなった。
 小林信彦は、最初はコメディーのmentorとして、そしてもちろん小説家として親しんだものだったが、最近はこの随筆が重要な仕事の一部になっていたと思う。
 ともかく脳梗塞で突然筆を折るなんてことにならなくてよかった。闘病を綴ったころの連載は鬼気迫るものだった。
 小林信彦はつくづく江戸っ子なんだなと、この連載はある意味、江戸っ子の生態観察って一面もあった。
 週刊誌の連載という形でリアルタイムで読んでいると、たとえば、政治的発言など、たぶん単行本にまとめた後に読んでは気づかなかったことがあったのではないかと思う。
 そうはハッキリと書いてないが、しばらく熱心に応援していた小沢一郎についてぱたりと書かなくなった。そして、自分は政治オンチだと、これは明言して、その後政治について書かなくなった。  
 これは、小沢一郎の元奥さんの例の手紙が週刊文春誌上で発表されたのがきっかけだったと思っている。連載陣のひとりとして当然ながら編集者に詳細を確認できる立場にいるわけで、あの手紙の衝撃は、私としてはむしろ、小林信彦の態度に大きく感じるところがあった。
 江戸っ子が、いかにも誠実そうな田舎者に騙される典型的なパターンで、小林信彦はそういう点でも江戸っ子の王道を行っていた。
 ダウンタウンが嫌いなのも、端々から伝わってくる。これは今でも意外なんだけど、日本の喜劇人について、ほとんど小林信彦の言いなりだった私としては、漫才ブームのころの漫才師たちがお気に召さないのはまったく納得できるんだが、ダウンタウンは文芸復興だったと思っていたので。
 喜味こいしダウンタウンの漫才を褒めるのを見たことがある。なので、これは世代ではなく、江戸っ子なんだなというのが私の結論だった。
 古今亭志ん朝が早逝したときはこれで江戸の言葉が聞かれなくなったと大変な落ち込みようだった。
 これも今考えると、まだ柳家小三治がいるって気がするのだが、これはたぶん師匠の柳家小さんが嫌いなんだと思う。
 下衆の勘繰りがすぎたのでやめておこう。シネマヴェーラ小林信彦セレクトの喜劇映画を見られたのは楽しかった。
 こういうの、もう5年か10年は早くできていたらなと思う。何せ、未だに頑としてインターネットにつながらない人なので。そんな人は、私の知る限り伊東四朗小林信彦だけ。ぴあが廃刊したって困っていたが、誰も困らないから廃刊するのだ。
 まあ、インターネットのアーカイブより、小林信彦個人の記憶の方がはるかに膨大なんだから仕方ないのかもしれない。
 この小林信彦キュレーションの映画祭は、今度は世界の喜劇人とか、女優とかの特集でまた是非やってほしい。
 新たな活躍を期待しつつ、週刊文春はもう買わないかな。