『アースダイバー 神社編』『精霊の王』読みました

 

 今の日本の総理大臣は平気でウソをつく。その源流は本居宣長という、明治維新の思想的バックボーンとなった人が、今でいうネトウヨ(『源氏物語』が読めるネトウヨ)で、誰でもわかるウソを数の力でうやむやにするといった、肚の腐った男だったからだ。源流が腐っているのだから、時が経てば経つほど腐敗が進む。
 今、日本の権力を握っている自公政権が、靖国信者と日蓮主義者という、戦前の軍国主義政権と同じ顔ぶれなのは何故なんだろうと不思議に思っていた。が、よく考えると、原爆がふたつくらい落ちたところで、脱構築をなしえなかったのならまた元に戻るのは当然だった。
 日露戦争から敗戦に至るまで日本を支配した軍国主義が間違っていたのは今更いうまでもない。問題は、その解体の主体と思われていた戦後民主主義がどうやら機能しなかったということが明らかになったのに、なぜそれが機能しなかったのかについて、誰もまともに考えてみようとしないことである。
 非常に説明しにくいことだと思うが、日本でもっともリベラルな勢力とみえるのが、何故か天皇家であることだ。生前退位をめぐる政争にしても、靖国を参拝しない態度にしても、軍国主義をそのまま受け継いだ現政権に対して、有効なカウンターでありえているのは、共産党以上に天皇家であるようにみえる。
 これは異例に奇妙なことだろう。韓国の議長か何かが昭和天皇を「戦犯」と罵ったが、国際的には天皇家はそういう存在と見えているはずなのである。ヒトラームッソリーニ昭和天皇と、おそらく歴史に興味のない世界中のふつうの人たちは、そう十把一絡げに考えて平気でいる。また、日本の軍国主義の犠牲になった国の人たちは、憎しみからもなおさらそう思っていることだろう。
 おそらく戦後民主主義の失敗は、この国際的十把一絡げに乗って、自身で歴史的事実を省みなかったことだろう。共産党は、戦前の弾圧に対する復習心から「天皇の戦争責任論」を利用したわけだが、事実は、共産党の存在も戦前の権力構造の極小部分だっただけのことであり、その構造内での恨みつらみを引きずり続けるかぎり、彼らが脱構築の主体になりうるはずがなかった。
 言い換えれば、いじめっ子といじめられっ子が、ある時期入れ替わっただけで、いじめの構造は変わらなかった。であれば、またいつか、いじめの攻守交代が起こるのは当然だった。それを「社会の右傾化」などと言って嘆いてみせるのは、欺瞞もいいところだ。
 今、日本会議靖国が寄って立っている国家神道が、まがいものであることは、実は誰でも知っている。明治2年に長州の田舎侍が建てた祠が、日本の伝統であるはずもない。ところが、上田秋成が地球儀を掲げて、日本が世界の中心であるはずがないと言っても、突き崩すことのできなかった構造というものはあった。
 そのようなものとして、今のネトウヨ日本会議が存在している。ウソなんだけど、そのウソに乗ったまま朽ち果てていく構造ってものはありうるわけだ。
 しかし、その朽ち果てていく構造の土台に、その構造を成立させた、もっと本質的な構造もありうる。これがややこしい言い方だとすれば、別の言い方をして、国家神道以前の神道とは何だったかを考えてみる価値はある。
 仏教は釈迦の教え、儒教孔子の教え、キリスト教は少なくともパウロの教えではあるだろう。だから、原点に帰ることは比較的わかりやすい。しかし、神道は、中沢新一の言うように「前宗教」的な色合いが強い。
 私たちの民族、或いは、私たちの民族以前から存在していた神道とはどんな信仰であったのかを考えてみることが、遠まわりにみえても、硬直した社会を脱構築する本質的な力になりうると思う。国家以前を考えてみることが国家を相対視することに役立つだろう。
 たとえば、U.S.は歴史の浅い国ではあるが、それだけにかえって国家以前から、国家以外の権威が身近にある。ヨーロッパも歴史が古いようでいて、国家の成立は私たちの近代とあまり変わらない。そのために国家以前の価値が強く残っている。
 これに対して、私たちの国は、明治維新第二次世界大戦と2回の荒廃によって、それ以前の価値を全否定してしまった。
 国家神道の成立は、廃仏毀釈の蛮行と表裏一体である。これについては

 この本に詳しい。
 白洲正子は「本地垂迹という思想は美しい。」と言い「周知のとおり、本地垂迹とは、仏がかりに神の姿に現じて、衆生を済度するという考え方だが、それは仏教の方からいうことで、日本人本来の心情からいえば、逆に神が仏にのりうつって影向したと解すべきだろう。」と書いた。
 確かに、仏教の側に本地垂迹を求める理由はない。神道が仏教をそのように変容させたわけだった。
 では、何故そのようなことが起こりえたのかといえば、それは、最も古いタイプの神道、縄文、狩猟生活時代の神道が、農耕生活時代の神道を飲み込んでいく、そういう構造の自由度を、私たちの前宗教が本質的に備えていたからだろうと想像がつく。
 中沢新一は、神仏混淆は、日本の思想史上、鎌倉仏教と同等の重要性を持っていると書いている。明治維新の最大の凶行というべき廃仏毀釈は、その野蛮と狂気において、そのまま日本軍のアジア侵略の予行演習に見える。本居宣長は、著書『馭戒慨言』で、豊臣秀吉朝鮮出兵を称賛した。
 国学者という排外主義者たちに端を発した国家神道は、実は、そもそもの神道ではないエセ神道で、国学こそ彼ら自身の言葉で言う「漢意(からごころ)」にすぎなかった。神仏混淆こそが真に神道的であったということが、偏狭なナショナリズムを離れた目で観るとわかってくる。
 仏教ももちろんそうだけれども、神道こそ国家の歴史よりはるかに古い。神道はじつは国家を超えた存在なのである。それを国家の枠組みに抑え込もうとした国家神道は、単にエセ神道というだけでなく、国家というシステムを刷新するダイナミズムを持ちえないという点でも死んだ宗教だと言える。縄文の昔からダイナミックに形を変えつつ、人の暮らしに寄り添ってきた宗教の本質的な力を、彼らは持ちえない。
 おそらく、システムを刷新していく自律的な力を、国家神道の様な死んだ宗教(最初からエセだったのだが)に奪われ続けるかぎり、この民族は衰えていくだろう。ナショナリズムが内から国を腐らせる。
 国というかりそめのシステムになぜ拘泥するのか。真の神道は国家以前の何万年の暮らしを記憶にとどめている。
 したがって、国家神道よりはるかに古い、おそらくは天皇家そのものよりはるかに古い信仰の記憶を現人神として自身の歴史に含んでいる天皇家は、国家神道というせいぜい江戸時代のネトウヨの妄想より、はるかにリベラルに見えるわけ。
 戦後民主主義天皇家は、現時点で、まるで対称的に見える。その対称性の軸は何だろうと考えてみると、やはりそれは歴史性ではないかと思う。日本の近代史を振り返ると日本の戦後民主主義は、国家神道と同じくらいウソくさく見える。
 戦争の経緯を考えると昭和天皇立憲君主に拘らず、絶対君主として振る舞っていたら、戦争があそこまで泥沼化することはなかったというパラドクスに思い至ってしまう。二・二六事件の収束とポツダム宣言受諾、実際に日本政治が機能したのは、昭和天皇立憲君主の立場を踏み越えたその2回だけだったからである。
 今、日本の政治に何が必要かなだとはとても口にできない。しかし、今、自民党のビルが爆破でもされたらさぞかしざまあみらと思うだろうことは否定もできない。それが軽々に悪であると弾劾もできない。それほど混迷を深めていることは疑いないだろう。