
あつぎのえいがかんkikiは音の良さで売ってる。TOHOシネマズ海老名で観るよりは断然よいと思う。TOHOシネマズ海老名は、経年劣化からかスクリーンのシミが気になる時がある。
ただ、今回はちょっと左のスピーカーの方が大きく聞こえるっていう謎の現象があり、私個人はそんなに自分の耳に自信がないので、気のせいかなと思ってたんだが、パンフレットを買おうと並んでたら、列の前のひとと映画館の人がその話をしていて、やっぱり左に片寄って聞こえたそう。一度、業者さんに来てもらって計測したそうなんだけど、その結果は問題なかったらしい。不思議。
デビッド・バーンは、むかし、『きっとここが帰る場所(原題“This must be the place")』っていうショーン・ペン主演の映画があって、映画のタイトルにもなったその曲が、トーキング・ヘッヅの歌だし、私の記憶には残ってないんだけど、デビッド・バーン自身も映画に出ていたそうなのだ。
しかし、あの時のショーン・ペンが演じたロートルのロックスターは、もしかしたらデビッド・バーンがモデルだったのかもしれない。スコットランド〜カナダ〜アメリカとエクソダスを続けた移民の浮遊感だけ、どこか似ているような気がする。
デビッド・バーンがフロントマンだったトーキング・ヘッヅは、ざっくり分けるとニューヨーク・パンクって言われるんじゃないかと思う。「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大なアーティスト100組」の100位。すごいのかすごくないのか微妙なのが、ニューヨーク・パンクっぽい。
パンクはそもそもパンクであるかぎり上手いわけはない。パンクの衝撃って、個人的に長らく分からずにいたのだけれども、1978年のロック・アゲインスト・レイシズムを扱った映画『白い暴動』を観て、パンクがカルチャーとしてのロックを甦らせたのがよくわかった。「白い暴動」は、ちなみに、ザ・クラッシュの曲のタイトル。
1978年、英国の経済がどん底だった時に、デビッド・ボウイなんかが移民排斥運動に賛同する一方で、若いパンクの連中がレイシズムに反対する大集会を敢行したのだった。これは、カルチャーの世代交代を鮮明にした事件だった。
パンクは、ビートルズが登場したころと同じように、ただ音楽だけでなく、ファッションや生き方まで巻き込んだムーブメントだったわけ。
しかし、ニューヨーク・パンクというと少し印象がぼやける感じはある。ニューヨークのパンクがロンドンのパンクと同じようなインパクトを持っていたかどうかはちょっとわからない。
トーキング・ヘッヅでいうと、私が男性だからかもしれないけど、ティナ・ウェイマスがカッコいいと思っちゃう。
で、ティナ・ウェイマスも参加していた『ストップ・メイキング・センス』と、彼女のいない『アメリカン・ユートピア』を比べると、デビッド・バーンの資質がよくわかる気がする。
アダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンが、演出家と女優の夫婦を演じた『マリッジ・ストーリー』があったけど、彼らがやっていた前衛劇のあの空気を思い出した。もちろん、デビッド・バーンの方がずっとポップだけれども。
「圧巻のパフォーマンス」は、単なる謳い文句じゃなく、ほんとうだと思う。政治参加への呼びかけ、BLMのプロテスト・ソング、どれも素晴らしいと思う。しかし、ああこれならトランプが勝つなと、逆に納得してしまった。
『白い暴動』のときは、インターネットもまだない時代にもかかわらず、全英を巻き込む大ムーブメントになった。退役軍人の老人達も行進に加わった。
そういうヒリヒリした熱はここにはない。パフォーマンスは素晴らしいけれど、もし劇場の外にまで当時のニューヨーク全体に目配せしたいなら、むしろ、フレデリック・ワイズマン監督の『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』を観るべきと思う。ニューヨークで進行していることがよくわかる。『コンテナ物語』を知った後では、さらによくわかるようになった。