笑福亭仁鶴の訃報

 笑福亭仁鶴の訃報にふれ残念だ。噺家が亡くなるともっと聞いておけばよかったと思う。
 爆笑王と言われていた頃の仁鶴さんの記憶はない。気がついたときにはもう喉を痛めていた時代で、奥さまの隆子さんがタレント活動をして支えていた。
 笑福亭仁鶴は六代目笑福亭松鶴の筆頭弟子だと記憶するが、師匠の松鶴以下、他の弟子たちはみな松竹芸能に所属している。にもかかわらず、仁鶴だけは吉本興業なのは、この話は誰かから聞いたのだろうか?、それとも言わず語らす、誰知らずいつの間にか常識のようになって、私もそう信じるようになったのか、仁鶴が、初代桂春団治(というのは通称で実は二代目、その辺の事情は他で調べて)の大ファンで、春団治と同じ花月の舞台を踏みたかったからだ。
 春団治関係の膨大なコレクションがあったが、火事で焼失してしまい相当にショックだったようだった。
 月亭八方が、花月の舞台での仁鶴の爆笑王ぶりを語っていた。私の世代ではそれを側聞するくらい。花月といえば、やはり漫才の聖地だと思うが、そこで噺家が漫才を圧倒したのは、それこそ初代桂春団治を除いては、仁鶴だけだったのではないか。
 師匠が松竹芸能、弟子が吉本興業と聞くと、今では何か不穏な空気を感じるだろうが、笑福亭鶴瓶によると、その頃の吉本と松竹は、今ほどの格差はなかった。藤山寛美がいるし、かしまし娘がいるし、見ようによっては、松竹芸能の方が格上に見えなくもない。
 現に、ABCヤングリクエストの小さなコーナーから一躍人気者になった仁鶴を、吉本興業は酷使した。それだけ手玉がなかったということである。それで喉を痛めることになった。と、本人が語っていた。
 その頃の吉本興業の屋台骨を支えた人だった。
 筆頭弟子の仁智が、今、上方落語協会の会長を務めている。上方落語で今誰を聴きたいかといえば、間違いなく笑福亭仁智だと思う。関東ではなかなか聴けないのが残念だ。
 つい2日3日前、YouTubeで、桂吉朝の最期の高座となった「弱法師」を聴いた。米朝吉朝志ん朝、枝雀、みんな故人になってしまった。