北京五輪外交的ボイコットについて

 北京五輪について英米豪が外交ボイコット、政治首脳を参加させない方針だそうで、日本がどうすべきか議論されている。 
 中国にさまざまな人権問題がある。だからその国で行われる五輪は、政治的にはボイコットして非難の意思を表す。いいことだから日本もやればいい、と、単純に行かないのは、国際政治の場では、日本人とドイツは、未だに国連の敵国条項に縛られているからだ。
 敵国というのは、単に、第二次大戦の戦勝国、敗戦国というだけでなく、背景に日本とドイツは人道上いやしがたい罪を犯したという認識がある。そういう敵国条項に縛られている日本が「中国は人権問題が・・・」とか言っても、「どの口が言うとんねん」ということになる。
 中国は第二次大戦の戦勝国である。米中が国際社会で対立している場合、敵国条項があるので対応が難しい。「当然、日本もボイコットすべきだ」という態度をとっているのは高市早苗などの極右だが、極右がそれをできるのは、そもそも彼らは戦後の国際社会の価値観そのものを否定しているからだ。敵国条項なんて関係ねえ、第二次大戦は侵略じゃねえ、日本は人道上の罪なんて犯してねえ、という連中が、中国の人権問題を非難するのは(笑)、極右が人権問題を云々すること自体がお笑い草なので、国際社会ではそれは一つの意味しか持たない。「極右ですね」というだけ。
 日本が中国を非難できるとしたら、「あなたたち戦勝国は、わたしたちが人道上の罪を犯したからこそ、私たちを敵国と扱っているんでしょう。その同じ人道上の過ちを、あなたたちが犯してもいいのですか」という論法しかない。これは、英米豪のような戦勝国とは、国際社会では別の態度をとらざるえない。
 逆に言えば、敗戦国の立場は、戦勝国と違って、たとえばドイツは米露の媒介役になれる。日本は米中の媒介役になれる。というより、そのスタンス以外に選択肢がない。
 なので、事実上、米国の追随に過ぎなくとも、米中の間に立って仲介の努力をしたというフリだけでもする、っていうのが、正しい外交姿勢というものだろう。