『自意識とコメディの日々』

 私がラジオにハマったのは、バナナマンバナナムーンGOLDからで、そこでバナナマンのふたりにいじられながらいい味を出してるこのオークラという人を知った。
 そのうちこの人が第三のバナナマンと言われている放送作家で、それだけでなく、東京03やゴッドタンなど東京の笑芸界の裏方としてなくてはならない存在であることも分かってきた。『自意識とコメディの日々』は、そのオークラさんの笑芸史的自叙伝。ちなみにオークラさんの本名はオークラではないが、その命名の由来も初めて知った。
 奇しくも、と言いたい、1996年から語り始められている。言うまでもなく、1995年は阪神淡路大震災オウム事件の年である。テレビは戦後日本が初めて体験する大災害と大型テロの報道で埋め尽くされていた。そんな中で異彩を放っていたのは、ドラマ『星の金貨』とSMAPと、そしてなんと言ってもキャリアのピークを迎えていたダウンタウンの「ごっつええ感じ」だった。
 それからほぼ四半世紀後の今となっては、ダウンタウンの衝撃がどれほど大きかったかを、それに触発された天才たちの証言がよく示してくれている、たとえば、宮藤官九郎、佐久間宣行、岩崎う大、あげればキリがない。
 もちろん、オークラさんもそうである。だから、1996年はオークラさんの個人年表としてだけでなく、日本の笑芸史を語る上での重要な転換点でもある。それは、それまで日本の笑芸史を語るバイブルとされてきた小林信彦(考えてみればこの人もクレイジーキャッツ、「巨泉・前武ゲバゲバ90分」などテレビの草創期の笑いを作りもし、また見届けてもきた人だった)の『日本の喜劇人』がカバーしていたビートたけしまでの後をつなぐことになる年だと思う。
 もちろんオークラさんの自叙伝はバナナマンを中心とする東京のライブシーンに限られた証言ではあるけれど、名著『日本の喜劇人』を後継するに値する内容を持っている。
 ダウンタウンはそれまでのTVの笑いを革新した。特に、漫才とコントに関しては、ダウンタウン以前と以後にはっきりと分かれると思う。ダウンタウンの存在は、彼ら先立つレジェンドたちも認めている。喜味こいし海原小浜の発言は前にも紹介した。
 それだけに、小林信彦が頑としてダウンタウンを認めないのには驚いた。それまで、ほぼ小林信彦の脳で笑いを見ている気になっていた私としては、ダウンタウンルネッサンスだと思えた。小林信彦も当然そう思っているだろうと考えていた。これをどう考えるべきなのかは未だに答えが出ていない。ともあれ、笑芸をシーンとして語れるスターが1980年代で不在になってしまった。
 ダウンタウンを語る本は、公式非公式を含めて山ほど出ているだろうが、同時代人としてはダウンタウンを本で読む必要は感じない。
 しかし、ダウンタウン以降という時代が、東京のライブシーンで、人知れず胎動していたということを、バナナマンバナナムーンGOLDに出会うまで気がつかなかった。だから、その辺のリアルをその当事者が綴ったこの本はすごく面白い。現にすごく売れてるらしい。
 この本が出るのを、実は、去年くらいから待ってた気がする。この本の告知も兼ねて、オークラさんが佐久間宣行のオールナイトニッポン0に出演したことがあった。その時の話では今年の夏に出るはずだった。ラジオ出演はそのさらに前だったわけだから、ほとんど忘れかけていた。
 表紙のイラストはバナナマンの設楽さんが描いている。バナナマンキングオブコントに惜しくも準優勝した時、もし優勝していたら、賞金を何に使いましたかと聞かれて、設楽さんは「戦友」と刻印した時計をオークラに送るつもりだったと答えたそうだ。

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