『皮膚を売った男』

 ケーン・デ・ボーウの演じる現代芸術家ジェフリー・ゴドフロワがカメラに向かって
「芸術は死んだと言われているが、現代ほど芸術がエキサイティングであった時はない。」
という。
 「芸術が死んだ」という常識としつつ、それも含めてなお芸術がエキサイティングでありうると宣言している。
 バンクシーの絵が額縁に仕込まれたシュレッダーで裁断されたオークションくらい鼻白んだこともない。オークション会社とグルなのが丸わかりだ。そこまで含めて全部をパフォーミングアートだということはできるだろう。だから?。そういうことを知的だと思って悦にいっているしたり顔にもううんざりなのだ。
 オークショニアやコレクターの予想範囲内での「反逆」だからこそそれに高値がつくのである。そのお座敷遊びを知的パフォーマンスだというそのバンクシーなる人物の人間性がもう透けて見えている。
 バンクシーやジェフ・クーンズの背景にはマーケティング戦略しかない。しかもマーケティング戦略をアートにしたのさえ彼らのオリジナルではない。それさえアンディ・ウォーホルの模倣でしかない。バンクシーのグラフィティ・アートもキース・ヘリングやジャン=ミシェル・バスキアの模倣である。
 アートの文脈から言っても彼らはエピゴーネンにすぎない。エピゴーネンだからこそコレクターが安心して高値をつけている。コレクターの手のひらで弄ばれるエセ反逆者ほど不快なものもない。
 だからこそ「芸術は死んだ」のだが、その状況を踏まえてなお「今こそ芸術がエキサイティングだ」と宣言した芸術家が、発表した作品は、シリア難民の背中にビザ(入国査証)を刺青することだった。
 著名な芸術家の作品となることで、本来のビザを持たない彼が世界中を渡り歩くことができる。そしてオークションに出ることで大金も手に入れることができる。
 この皮膚を売った男を演じているヤヤ・マヘイニは、本業の俳優ではなく、シリアの弁護士だそうだ。そして、この刺青のアートはベルギーの芸術家ヴィム・デルボアの《Tim》という作品に発想を得ていて、彼自身もカメオ出演しているそうだ。
 こうして自由と大金を手にした男がそらからどうなったか。シナリオはすごくよくできていて面白い。ネタバレしない方がよいのだろうと思うし、この設定と配役の時点で、この映画はもう勝ちで、あとはいくらでもバリエーションが可能だと思えてしまう。
 芸術家が皮膚を売った男に向かって、「私と君の関係はピグマリオンとガラテアの関係と真逆だ」というのが面白かった。というのは「?、そうなのかな?」と思ったからだ。彫刻家ピグマリオンは彼自身の作品ガラテアに恋してしまい、彼女が生身の人間になることを神に願うのだが、その真逆ということは?。
 ヴィム・デルボアは、この映画に感動して監督のカウテール・ベン・ハニアと電話で話し込んだそうだ。


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