『大怪獣のあとしまつ』

 三木聡の映画は2007年の『転々』あたりからずっと観ている。
 『転々』も見事だったんだけれども、なんといっても『インスタント沼』が素晴らしく、日本のコメディ映画史上唯一無二の傑作だと思う。三木聡作品はもはや三木聡というジャンルなのでそういう味わい方をしなければならない。松本人志でいえば『一人ごっつ』の領域で、あのスタッフのかぶせ笑いを「うるせえ」と思いながら見てた人が観るべき映画だろう。
 今回の『大怪獣のあとしまつ』は前作『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』に続き、グッとエモーショナルな作りになっている。ふつうコメディーがエモーショナルであることは難しい。たとえば『日本のいちばん長い日』をコメディに仕立てられるか?という話。
 『大怪獣のあとしまつ』は、キービジュアルを見て、『シン・ゴジラ』を倒したはいいけど「そのあと始末はどうすんだよ?」という大喜利だと思って観にくる観客は裏切られるだろう。そうじゃないのよ。これは三木聡映画なんだから。
 『シン・ゴジラ』も『シン・ウルトラマン』もひっくるめてギャグにできる唯一無二の存在が三木聡なのである。
 「大怪獣の後始末」というお題で大喜利を与えられた場合、10や20のギャグは、その辺のハガキ職人ならすぐに思いつくだろう。このお題の構造として何が面白いのかというと、大怪獣が現れてそれが退治されるまでは、古典的な英雄譚だが、その後始末となると、東京のど真ん中に巨大なうんこがあるようなものだから、実は、「大怪獣の後始末」というタイトルだけで「出オチ」している。
 「オチ」とか「さげ」と落語で言われているものは何か。話の世界に引き込んだ客を日常に引き戻すことなのである。それが見事に決まると良い「オチ」だということになる。たとえば「肝つぶし」なんて、ハラハラドキドキの猟奇殺人になるかという瞬間に見事に観客を裏切る。
 『大怪獣のあとしまつ』は、そういう「オチ」の意味では、もうタイトルてオチてる。なので、中途半端なお笑いオタク(でもないか。お笑いオタクなら、シティボーイズのライブを作り上げた三木聡の作品にそんな半端な態度で対峙しないはずなので)、あるいは、炎上好きな、にわか評論家みたいなのが、そんな誰でも思いつくような「オチ」から遡って、大喜利の答え合わせみたいなつもりで観に行って小躍りして叩いているらしい。
 ゴジラウルトラマンもその存在自体が笑えるでしょ?。イケメン俳優がウルトラマンに変身したりするの、それ自体が笑える。そういうふうに頭の切り替えができないとすると、そりゃその人の方が危ない。
 『シン・ゴジラ』を作るに際して、庵野秀明は、今更いいんじゃないの?と思っていたらしい。その感覚が正しい。実際、今ハリウッドで作り続けられているゴジラのシリーズは、70年代の子供たちが夏休みに見に行ってたアレなのだ。いわば「怪獣ポルノ」。
 この秋公開される『シン・ウルトラマン』も大きく言えばそれだろう。そもそも庵野秀明は学生時代にウルトラマンを演じているわけだから、そのリベンジをするんだろう。それを裏切ってくれるかどうかは、まだ何とも言えない。ウルトラマンは、本質的に在日米軍の比喩なので、2022年現在、在日米軍の存在意味がオリジナルのウルトラマンが作られた東西冷戦時代と大きく違っている背景まで踏み込んでシナリオが描かれているかどうかわからないが、もしそうでないとしても、作品の価値には何の関係もない。
 以前、懐かしのTV番組を振り返るみたいな放送で「ウルトラセブン」の最終回をやってた。鮮明に憶えているんだけど、Vが終わって、勘に耐えないという表情をしている薬丸裕英の横で、野沢直子が大笑いしていた。どちらもわかります、当然。薬丸裕英野沢直子も大人なので、次の瞬間にお互いの感じを理解したようだったのが、さらに面白かった。
 『ドント・ルック・アップ』『散歩する侵略者』『美しい星』などと見比べても面白いかも。

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 ちなみに、ポッドキャストで「オークラの質問のコメディ」が開始されて、この初回ゲストが三木聡なんだそうだが、プラットホームがどこなのかびみょうにわかりづらい。

natalie.mu


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