『ベルファスト』

 『ベルファスト』は、監督をつとめたケネス・ブラナーが、故郷の北アイルランドベルファストですごした少年時代を描いた、ほぼ自伝的な映画だそうだ。
 その意味では、モノクロームの画面もあり、アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA』を思い起こさせる。
 ベルファストという地名を私が憶えているのは何故なんだろうかと考えてみたが、たぶんケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』じゃないかと思う。
 そういうわけで、もしかしたらちょっと重たい映画になりかねないなと、身構えないでもなかったけれども、ポスタービジュアルどおり、少年の軽やかさで、重いテーマを跳びこえてくれた。
 この映画を見ると、ベルファストという土地がまるで100メートルくらいの路地みたいに思えてしまう。そしてたぶん主人公の少年にとってのベルファストはまさにそうだったんだろう。ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』が、どこか大河みたいな歴史ドラマを感じさせるのに対して、同じようにアイルランド人の兄弟を描いていても、こちらはずっと身近にかんじられる。
 そのせいで、アイルランドの分離独立をめぐる紛争がより切実にやりきれなくみえるのだけれど、それがテーマではなく、どこまでも少年の目線のリアルを失わない。
 冒頭で、突然少年の住んでいる通りが襲撃されるのだけれど、それがまるでちょっとした「水晶の夜」(昼なんだけど)。プロテスタントカトリックの家を襲撃するなんてことが、同時代人の少年時代にほんとに行われていたという事実にこころふたがれてしまった。ナチスユダヤ人を襲撃するとか、ユダヤ人がパレスチナ人に殴りかかるとかは、時間的にも空間的にも少し他人事な感じがしてたんだと気付かされた。
 プロテスタントカソリックとなると日本にもその辺にいそうじゃないですか。しかも、プロテスタントと聞くと、世界でも勝ち組の宗教って感じがする(ユダヤ教ほどじゃないのか)。その勝ち組のいわゆるWASPが、宗教を理由に暴力を振るうのを、具体的な人の姿で見せられると、よりおぞましい。
 その「おぞましさ」は、北アイルランド問題という世界史のテーマとしても確かにおぞましいに違いないけど、この映画は舞台を少年の住む通りにほぼ限定したことで、おぞましさがもっとダイレクトなものになっている。「少年の目を通して」なんていう能書きもいらない。単にある俳優の少年時代を映画化したらそこにこんな事件がはさまってました、くらいの感じ。その歩調の平常さがえがたい感じ。評価が高いのもうなづける。
 ところで、エマニュエル・トッドの分類によると、アイルランドと日本は、家族の型が同じなのだそうだ。私見でも、アイルランド人って日本人に似てる。昔、『ゲット・ラウド』という映画で、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト、U2のジ・エッジが鼎談していた。ジミー・ペイジはイギリス人、ジャック・ホワイトはアメリカ人、ジ・エッジはアイルランド人。この映画のジ・エッジがまるで日本人みたいなのだ。ちょっとした表情や仕草の意味がよくわかる。ぜひ見てほしい。たぶん、布袋寅泰が代役で出てもあの感じだと思う。
 リチャード・ギアポール・マッカートニーも何故か日本びいきだし、とかいう漠然とした感じだけじゃなく、歴史的にも、国際連盟(連合じゃなく)発足当時、日本が提案した差別撤廃条項にアイルランドが賛意を表明したこともあった(実現はしなかったが)。
 私たちからすると、西洋人はみんな同じに見える。せいぜい英国人は紳士、フランス人は自由、イタリア人は陽気、ドイツ人は堅い、みたいなステレオタイプはあるけれど、アイルランド人が被差別的な意識を持ち続けてきているということを私たちは忘れがちである。この映画でも主人公の母親がイギリスに移住するのをためらう。
 誰かに差別されることを深層心理で恐れ続けているWASPっていう、ちょっと不思議な存在のアイルランド人に私は惹かれてしまう。やっぱり、東洋と西洋のはざまに落ち込んでいるような、わたしたち日本人とどこかで共鳴するような気がする。

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