弓削田眞理子さんの話

 「激レアさんを連れてきた」に、マラソンで60歳を超えて3時間を切る世界でただひとりの女性という弓削田眞理子さんが出ていた。
 うっかり忘れてしまいそうになるが、弓削田さんの若い頃は、まだ女子マラソンという競技自体が生まれたばかりだった。弓削田さんは日本の女子マラソンの草分け佐々木七恵さんの二つ下くらいだろう。24歳の初マラソンの記録が3時間9分21秒。ネットで調べると佐々木七恵さんの初マラソン記録が3時間7分20秒だそうである。弓削田さんは、しかし、その後の記録が伸びず、26歳で結婚後、競技生活から離れた。
 子供に手がかからなくなってマラソンに再挑戦を始めたのは52歳だったそう。そして58歳で初めて3時間を切り、61歳、62歳と記録を更新し続けている。36年かけて自己ベストを更新した。もちろん結婚後もトレーニングを続けてきたのである。
 そのモチベーションを支えたのは、初めての子供がお腹にいた1984年、ジョーン・ベノイトというアメリカ人女性が、五輪初の女子マラソン金メダリストになったレースだった。弓削田さんは大きなお腹を抱えて、真夜中のテレビでそのレースを見ていた。
 今年の4月、ボストンマラソンの記念大会に招かれた際に、弓削田さんはジョーン・ベノイトと初めて対面した。
 その時を回想しながら弓削田さんが語った言葉で、意外でもあり印象的でもあったのは、結局、26歳のあのとき、「自分は結婚に逃げた」というところだった。ストーリー全体を振り返ると、「逃げた」といえるようなところはどこにもないように見える。トレーニングを続けて、恋をして結婚して、教職を続けながら子育てをして。しかし、ベノイトさんのレースを深夜のテレビで観ながら、弓削田さんが噛みしめていたのは、「自分は逃げた」という思いだったのである。
 聖書の楽園追放のオチに、楽園を追放されたアダムとイブにはそれぞれ罰が与えられたとなっている。いわく、アダムには労働が、イブには妊娠が、それぞれ罰として課せられた。その罰に、私たちは易々と逃げ込むようである。女は結婚に、男は仕事に、逃げ込むのではないだろうか。そして、おそらくは誰ひとりとして、それを逃避だとは思わない。むしろ、自分は頑張っていると思うだろう。
 そんな中で、弓削田さんはただひとり、深夜のテレビの前で「自分は逃げた」と思ったのである。それが、その後の彼女を支えるモチベーションになった。一度逃げた場所からもう一度戻ろうとする、そこには途方もない距離が見えたのではないか。ボストンでベノイトさんと出会ったときの感動は、長い旅のゴールに似た感動だったのではないかと思う。気の遠くなるほど長いマラソンを走り、勝利を報告するアテナイをようやく見つけたのだった。