『ファイナル・アカウント』 ネタバレあり〼

 これは2020年のドキュメンタリーであり、つまりもうホロコーストの当事者たち、それは、被害者、加害者ともに、その当事者であった人たちの直の証言を得るのは難しい時代になりつつある。
 今回のこの映画でインタビューを受けている人たちは、ヒトラーユーゲントのさらにその下部組織に、たとえば10歳の時に加わったときけば、この人たちを断罪しようという気にはとてもなれない。しかし、インタビューを聞いていくうちに、だからこそ、この人たちの罪の意識、罪悪感が、むしろ今の私たちに切実な、近接する意識になることに気がつかずにいられなかった。
 最大に関与していた人でもせいぜい収容所の塀の監視役とか、子供のときにユダヤ人の店の前で店に入るのを邪魔していたとか、ほとんどタイカ・ワイティティの『ジョジョ・ラビット』の世界。
 そして、この映画の監督ルーク・ホランドは祖父母をホロコーストで亡くしたユダヤ人である。なので、この人をホロコーストの被害者と言っていいのかどうか判断に迷う。それは、映画を見た後にますます迷ったと言う方が正しい。それは多分、この映画のインタビュイーが加害者なのかどうか、映画を見る前よりももっとわからなくなったのと比例してそうなった。
 この映画監督が予断を持って断罪するつもりでインタビューしているわけではないのはもちろんだ。どのインタビュイーにとっても、この話をするのがとても困難なのがよくわかる。彼らが、実は誰よりもその罪について考えているのが伝わってくる。話しをするのが難しいと彼らに思わせているのは、彼らと同じ深さでこの罪を考えている人に出会えないためだろう。
 「私を有罪にすることはできない。私が考えているのは・・・」と言って言葉を失った人がいた。先に言ったように、当時、10歳やそこらの子どもだった人たち、あるいはそれが、ベトナム戦争に従軍した米兵たちのように18、9歳だったとしても、彼らを断罪できる人がどこにいるだろうか?。同じように、彼らを無罪にしてあげられる人もまたいない。おそらく、あなたには罪がないという人にもまた、この人は同じような反発を感じるはずなのである。
 インタビュイーのひとりが若者たちと対話するシーンがあり、そこがこの映画の最大のハイライトだと思う。元ヒトラーユーゲントと若者たちとの対話と言われて、あなたはどんな内容を想像しただろうか。何人かの若者は顔を隠している。顔を隠していない者は発言していない。顔を隠して、何なら姿も映っていない若者が「なぜドイツを恥だと思わなければならないんだ?」と抗議する。これに対して「祖国のために戦ったことを恥だとは思っていない。しかし、何の罪もない人たちが尊厳のないやり方で殺されたことは間違いだった」と猛然と言い返す。彼らの懊悩はこのレベルではないことがよくわかる。「なぜ君たちは顔を隠してる?。卑怯じゃないか」とも。この若者たちが顔を隠さなければならない時点で、これはもうお話にならない。
 その一方で、ナチズム自体を間違っていなかったと主張する人もいる。思想として間違っていなかったと。そういう人でもホロコーストは断罪する。ちなみに、この映画の中には、ホロコーストはなかったとか主張する人は出てこない。ホロコーストを正しかったという人もいない。しかし、彼は「どこかへ移住させればよかったんだ」という。彼の主張には危ういものを感じた。ホロコーストは実はそうやって始まったからである。ナチの最初の計画では、ロシアか、さもなくば北アフリカのどこいらかにユダヤ人を追放するつもりだったはずだし、ユダヤ人の中にはそれでもいいと思っていたひともいたらしい。その計画は頓挫した(その結果のホロコーストであった)が、この思想をユダヤ人の側から発想するとそのままシオニズムになる。それが今のパレスチナ問題につながっている。
 イスラエル建国はパレスチナからしたら侵略以外の何物でもないはずだが、素知らぬ顔でそれで長年のユダヤ人差別の贖罪を済ませた気持ちになっているヨーロッパの人たちは、この元ヒトラーユーゲントの老人と同じ考えだとおもうのだけれどどうなんだろうか。 
 もし、ナチがイスラエル建国に成功して、そこにユダヤ人たちを移住させていたとしたらどうなっただろう。虐殺は優生思想からなる障害者、また、同性愛者、退廃芸術家など、ホロコーストよりは小規模の虐殺にとどまったはずである。その時、私たちは今のようにナチズムを非難しているだろうか?。というより、今、私たちは、パレスチナの差別をどのくらい非難している?。ウイグルは?。チベットは?。
 こうして問題は現代に繋がってくる。ひとりのインタビュイーが戦後米兵がやってきた時の話をしていた。ある米兵が元ヒトラーユーゲントの一人に尋ねた、「ナチスが残虐行為をしていたのを知っているか?」「ああ、もちろん知っていたよ。」と言うと米兵が握手を求めてこう言った。「ありがとう、ナチの残虐行為を知っていたというナチスは初めてだよ。」と。
 これは小噺かもしれない。ただ、当時まだ10代だった彼らのほとんどはほんとうに知らなかったと言って間違いではないだろう。しかし、うすうすは知っていた。あるいは知ろうとしなかった。そのことが罪なのかどうか、彼らはそのことをずっと問い続けて生きてきただろう。
 皮肉には、最近の報道によると、自民党の多くの議員が、統一教会について「知らなかった」と発言しているそうだ。中でも福田達夫という自民党の総務会長は「何が問題かわからない」のだそうである。米兵が握手を求める自民党議員は出てきそうにない。彼らが10代の若者なら後に言い訳も立とうが。
 確かに、こういう政治家を動かすにはテロがふさわしかったのだろう。ちなみに、安倍晋三の著書『美しい国へ』の出版される2年前に出版された、統一教会初代会長の遺稿集のタイトルが『美しい国 日本の使命』だったそうである。


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