『窓辺にて』ややネタバレ

 つかこうへいが、ダスティン・ホフマン主演の『卒業』のラストについて、結婚式の教会から花嫁を奪われる花婿の気持ちにならずにいられない、みたいなことを書いていた。ダスティン・ホフマンの行為は今ならもちろん大炎上案件だろう。つかこうへいの定番ネタではあるのだけれど、視点を移すと同じ事実でもガラリと変わる。つまり、多くの観客(すべての観客かも)が見ているのは、事実そのものではなく、そこにまぶされているストーリーというウソの方なのである。
 今泉力哉監督が、稲垣吾郎を主演に迎えた本作の主人公は、奇しくも、濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』と同じく寝取られた夫である。『卒業』の昔と違って、花嫁を奪う男を英雄視できないのは当然としても、寝取られ男を主人公に据えたとて、シェイクスピアの『オセロ』のように、切った張ったの苦悩を演じてみせるのは、そりゃ違うでしょうと誰もが思う。
 女房が他の男と寝てるとなったとき、『オセロ』の昔はもちろん、つかこうへいが『卒業』に感じた違和感さえ、今では、どこか違うって時代、男たちはいったいどんなストーリーでその事実にオチをつけられるのか?。
 そういうことがこの映画の発端になっているのかどうかまったく知らないが、『あの頃。』『愛なのに』『街の上で』もそうだったように、今泉力哉監督の脚本は、同時代を捉えようとする冒険に満ちている。
 一方で、ただ時代や世代の属性とは言えない要素ももちろん詰まっている。同じように不倫の問題を抱えている若葉竜也志田未来夫婦は稲垣吾郎中村ゆり夫婦とはまるで違う。ふとしたことで知り合う17歳の女子高生の小説家・玉城ティナカップルとも違う。
 劇中でも言及されるが、この主人公は正直すぎる。ウソを忌避するあまり感情がからっぽになってしまっている。女房に浮気されたとき、自分はどう感じればいいのか、主人公がそれを求めてさまよう地獄めぐりの映画とも言える。
 この主人公に稲垣吾郎が実によく似合っている。元SMAPの中でももっとも執着がなさそうなのは、誰でも知っているけれど、その感じをキャスティングに反映させようとすると意外に難しい。そういう成功例としても、今泉力哉監督の能力を讃えてもいい。キャスティングが先にあったとしても、脚本が先にあったとしても、これは大したものだと思う。
 だが、実は、この主人公の頭上にストーリーは着地しない。彼の周囲でだけ「物語」が決着していく。彼の時間は結局止まったままに思える。彼がそれを書いた後に創作活動をやめてしまった処女小説の続編を、妻の浮気相手である後輩の小説家が書いてしまったとき、妻の浮気関係も終焉するが、同時に主人公の結婚生活も終わってしまう。彼が見つけなければならなかった「物語」を浮気相手が奪ってしまったから。
 もちろん、その「物語」も主人公にとってはウソだが、彼自身のウソを主人公が見つけられなかったのも確かなのだ。その時、主人公は当事者として、というか本人として、いやそれは違うと言いうるのか。
 これは結構残酷な結末だと思った。この後、主人公が自殺したとしても驚かないくらいの。だが、結局、主人公の時間は止まったままなのである。
 消えてしまった女性を忘れられないわけではないと主人公は言う。それが本心であることを誰も疑わないだろう。しかし、それを言われた妻にとってみると、いかに論点がずれていることか?。いかに自分たちの暮らしが蔑ろにされていると感じられるだろうか?。
 先ほど『ドライブ・マイ・カー』を比較に上げたが、突然消えてしまう女性は、村上春樹の発明とも言われている。女が消えてしまうことは、「物語」が消えてしまうこと。号泣してしまうエンディングにたどり着けなかったこと。そして、そのアンチクライマックスが彼の「物語」をすっかり漂白してしまった後で、もう一度自分のウソに踏み出せるだろうか?。誰かのウソに寄り添えるだろうか?。それとも、自分のウソに誰かをまきこめるだろうか。
 つまりはもう一度最初から始められるのかという問いを、玉城ティナの若いカップルが突きつけてくるとも言える。おそらく、彼らの側にはその意識はないのだが、否応なく年代の差を彼に感じさせているようなのだ。そして、映画の発端と同じ位置にさらに孤独になった状態で主人公だけが取り残されることになったようなのだ。実は、慟哭してもよいシチュエーションだったかもしれない。
 笠智衆が、実は、『晩春』のラストに慟哭してくれと小津監督に要求されたと回想していた。『晩春』という映画を漫然と見ていると、慟哭は唐突に思えるかもしれない。しかし、あの映画の結末では、主人公は慟哭するしかなかったとして何の不思議もない。それと同じように、この映画のラストの稲垣吾郎も実はもう何の未来の展望も持っていない。主人公だけが映画の冒頭に戻ってどこにもいけない。稲垣吾郎の飄々とした表情がその孤独をライトにしている。
 今泉力哉監督の今までの映画に比べて、映像が格段に美しく感じる。多分、今までの映画と違って、今回の映画は映像が美しい必要があったのだろうと思う。今までの映画と違って、今回の主人公はずっと孤独だからだと思う。

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