『ミセス・ハリス、パリへ行く』『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』

 たまたま観た2本の映画が戦後のファンション史上で連続していたりするのが面白い。

 『ミセス・ハリス、パリへ行く』の方は、『スノーグース』という小説で知られているポール・ギャリコ原作、というだけで食指が動く人がいるのかもしれない。私は未読なんだけど、『ミセス・ハリス・・・』もシリーズ化されているようで、Amazonを見ると、ミセス・ハリスはパリだけでなくいろんなところに出かけている。
 一昔前の翻訳では「ハリスおばさん」となっていたようだが、その方がミセス・ハリスの社会的な地位はわかりやすいが、その分、彼女のプライドの部分は伝わらないのかも。それより何より、今の今って時代ではもちろん「ハリスおばさん」ではなく「ミセス・ハリス」だろう。
 これが「ミズ・ハリス」までいかないのはミセス・ハリスが戦争未亡人だからだろうと思う。映画では、ロンドンでひとり、通いの家政婦をしながら生計を立てている、ミセス・ハリスのもとに、ながらく消息不明だった夫の戦死が知らされる。
 時代としても、主人公の立場も『東京物語』とほぼ同じ。『東京物語』の公開が1953年、『ミセス・ハリス、パリへ行く』の背景は1957年のロンドン、パリ。『東京物語』の節子のさらに4年後にミセス・ハリスは夫の戦死通知を受け取ったことになる。
 そう考えると、ミセス・ハリスが、クリスチャン・ディオールのドレスに心奪われるリアリティが増す気がする。1957年の戦争未亡人が、あちこちのレビューに書かれているような「もうすぐ還暦」ってことは、ないとは言わないけど、それより10〜15歳若い方が自然じゃないだろうか?。
 旦那の戦死が確定したことで、まとめて年金を受け取ったミセス・ハリスは、タイトルどおり、いよいよパリに出かけていく。クリスチャン・ディオールのドレスを買いに行くのだ。
 ただ、クリスチャン・ディオールのドレスは当時すべてオートクチュール。コネがないと買うどころか見ることもできない。一部の特権階級だけに許されるオシャレだった。この状況が、もう一方の映画『マリー・クワント・・・』の発端と同じ。しかも『マリー・クワント・・・』の方はドキュメンタリーなので、空襲で瓦礫になったロンドンの実際の映像も見ることができた。
 ミセス・ハリスはじゃあどうやってディオールのドレスを手に入れたか?。そこがまさにドラマなので、そこは説明しないけれど、その背景に、パリのストライキがあり、ディオールで働いている末端の女性たちとミセス・ハリスとの交流があり、そして、ついにはディオール自身も動かしてしまうってところが『フォレスト・ガンプ』的なほら話になっていて実にうまい。
 たとえば、ミセス・ハリスがパリに着いた時には、パリは、清掃業者のストライキの真っ最中でゴミだらけ。それが実は伏線になっていてラストのひねりにつながる。
 もちろん、ディオールの全面協力でステキなドレスがいっぱい。映画の中でミセス・ハリスが入り込んだファッションショーは、クリスチャン・ディオールの10thアニバーサリーのファッションショーを完全再現しているそうだ。
 ミセス・ハリスを演じているのは、レスリー・マンヴィル、この人は、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ファントム・スレッド』では、ダニエル・デイ=ルイス演じるファッションデザイナーのお姉さんをやっていた人で、今回の役とは真反対だったのである。
 その真反対の役どころ、ディオールの重役を演じているのはイザベル・ユペール。この人が出てるだけで大概の映画は面白くなる気がする。ちなみに、この映画でのイザベル・ユペールも、夫が戦争で傷痍軍人となっている設定だ。だから、実年齢よりずっと若い設定だと思っていいんじゃないだろうか。
 もうひとつちなみにリュカ・ブラヴォー演じるディオールの会計士は、若き日のイヴ・サンローランがモデルだそうである。
↓以下、監督インタビュー

news.yahoo.co.jp

 『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』は、ミニスカートの発明で知られるマリー・クワントの伝記的ドキュメンタリー映画。一番おどろいたのは、マリー・クワントの実店舗って、今は日本にしかないみたいね。日本の企業にバイアウトしたんだそうだ。それで、ふと気がついて見ると、日本の「kawaii」の源流は、じつはマリー・クワントにありそう。『マイ・ジェネレーション』って映画を観た時に、水森亜土が描く女の子のモデルがジーン・シュリンプトンだったのには気づいた。それに、峰不二子のモデルは、マリアンヌ・フェイスフルでなくて誰なんだ?。
 それにしても、マリー・クワントの60年代の無敵ぶりはすごい。『ミセス・ハリス、パリへ行く』の舞台は1957年だったわけで、その当時、庶民はディオールの服を買おうにもそれを見ることすらできなかった。お金があってもよ。
 そんな時、1955年に、キングズロードに出店したマリー・クワントのBAZAARが、市場を席巻したのは想像に難くない。ここ以外に全世界どこを探してもないわけだから。sweepというけれど、まさに、若者の需要を全部かっさらった。
 スウィンギング・ロンドンというけれど、ビートルズ、デビッド・ホックニーヴィダル・サスーン、マリー・クワント、音楽、美術、美容、服飾、まさしく,ロンドンが世界の中心だった感がある。実際、彼らがイギリスの経済を立て直したんだし。
 下世話な話だけど、今だったら、マリー・クワントは巨万の富を手にしていただろう。その当時でも儲けたには違いないが、今みたいに、システムがきちんとしていなかった。ローリングストーンズなんかは、アラン・クレインに搾取されて、ミック・ジャガーが「食うものがなくなった、金を送れ」とか、そんな状態だったらしい。アラン・クレインはローリングストーンズを追い出された後、ブライアン・エプスタインを亡くしたビートルズに寄生した。ビートルズ解散の原因はアラン・クレインだという説もある。
 マリー・クワントの場合は、旦那さんのアレクサンダー・プランケット・グリーン、友人のアーチー・マクネアという協力者がいたことが大きかった。それでも、今ほどマニュアルがなかったに違いない。ビートルズの場合もそうだったけど、急激に膨らみすぎた。世界を席巻するとは思っていないわけで、歴史上、誰も体験したことのないマネジメントだった。
 マリー・クワントというと、カラフルなミニスカートとタイツ、ヴィダル・サスーンの短髪で闊歩するイメージがあるけれど、映像で見ると意外に猫背なのが印象的だった。猫背のクリエーターって何かサブカルっぽくないですか?。インタビュアーに「誰が"堂々としたい"って言った?」って言い返すシーンがあった。
 マリー・クワントが自分のデザインを語るとき「セクシー」という言葉を何度も強調していた。たとえばミニスカートについても「走れること」そして「セクシーに見えること」。
 ウーマンリブ(女性解放)をいうなら、女性が自分のセックスをアピールできることもそこに含まれるとは、当然のことと思われる。「堂々としたいわけではない」と語りながら、セクシーで走れる服を作る、猫背のこのクリエーターは信じられる気がした。
 日本の「KAWAII」の源流のひとつが確認できたのは驚きだった。マリー・クワントが日本の企業にブランドを受け渡したのも偶然ではないかもしれない。ギャルやアイドルの源流もマリー・クワントだったように私には見えた。吉田豪に見られるようにアイドルとパンクの文化は日本では重なっている。
 スウィンギング・ロンドンの終焉とともにマリー・クワントも表舞台から退場する。代わってキングズロードの覇者となったのはヴィヴィアン・ウエストウッドだった。
 マリー・クワントからヴィヴィアン・ウエストウッドへという流れは、ロックからパンクへという時代の移り変わりを正確に反映している。大陸のハイファッションのブランドには、こうした若者の文化との関係はない。ハイファッションのブランドがなんとなくダサいと感じてしまうのはこの辺に理由がありそうだ。
 2本の映画でディオールからヴィヴィアン・ウエストウッドまでロンドンのファッション史を旅してしまった。こういう面白いことが時たま起こる。ちなみに、ヴィヴィアン・ウエストウッドドキュメンタリー映画も2018年に公開されている。これに加えて、『白い暴動』を見ればロックからパンクへの変遷が追体験できる。


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