『ホイットニー・ヒューストン I wanna dance with somebody』『空の大怪獣ラドン(4K)』

 去年の最後に観た映画と今年最初に観た映画。
 『ホイットニー・ヒューストン・・・・』の方は、楽曲はオリジナルなので、それだけでもいいかなと思って。
 この手の映画でけっこうな頻度で出くわすのが最低な父親。例を挙げれば、エイミー・ワインハウスブライアン・ウィルソン。親ガチャという意味では最低。逆に、父親の側から言えば「子ガチャ」が大当たりしたわけだ。
 ホイットニー・ヒューストンが「ホワイティー」ヒューストンと呼ばれて黒人社会から批判されていたとは初めて知った。こういう自家中毒的なコミュニティの排斥には心痛む。というのも、そういう排斥で、彼ら自身が黒人社会での白人の立場に立っていることに、気がつかないほどの傲慢さ。黒人社会での黒人による黒人への差別という絶望的な状況を、何なら彼ら自身は正義だと感じているらしく見える。
 彼らの中では、黒人は「白人と違って差別などしない聖なる存在」であるかのように思いなされているのだろうが、まさにそれこそが差別の核心、差別そのものだというパラドクスを、これはしかし、白人の側からは指摘しにくいのは無理もない。
 これと同じ状況はまさしく慰安婦問題である。あれはもはや韓国人による日本人差別である。が、それはなかなかそうは見えにくい。挺対協のやっていることが人権運動、統一教会の信仰がキリスト教に見える人にこれを説明するのは至難の業だ。
 日本人は、差別する側にもされる側にも立ってきたからこそこれが見えやすいわけ。だが、こういうことを言うと、ネトウヨかなんかと勘違いされる惧れもある。そんなことだから、「世の中が右傾化した」とか嘆くリベラルから人が離れていくのだが、彼ら自身は自身の正義を信じて疑わない。
 話を映画に戻すと、まあしかし、『ボヘミアン・ラプソディー』と同様、歌唱のパートはホイットニー自身の歌声を使わざるえないのは無理もない。誰が彼らの歌声を再現できる?。
 そう考えると、『リスペクト』で、アリサ・フランクリンを演じたジェニファー・ハドソンは大したものだった。生前のアリサ・フランクリン本人から主役の指名を受けていたのである。見事なパフォーマンスだった。
 『JUDY』でジュディ・ガーランドを演じたレネー・ゼルウィガーも大したものだった。
 ちなみに、ホイットニー・ヒューストンの生涯を描いたドキュメンタリー映画には『ホイットニー 〜 オールウェイズ・ラブ・ユー』があった。


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 『ラドン』の方は、これが東京現像所の最後の仕事だそうなので。
 『ラドン』は、怪獣映画として初のカラー映画だったのだそうだ。そのテクニカラー方式のフイルムが発見されて、当時のそのままのカラーが再現が可能になったそうなのだ。よくわからんのだが、テクニカラー方式ってのは、カラーフイルムを赤・緑・青の3原色のモノクロポジフィルムに分解して保存することで、色を劣化させずに長期保存が可能になるものだそうなのだ。
 66年前のカラーがそのまま見られるだけで感動だが、やっぱり、鳥を着ぐるみでやるのは無理なんじゃない?。
 それと、どんな視聴者を狙ってるのかわからなかった。見た感じでは、子ども向けではなく、プロレタリア文学みたいに始まって、推理ドラマみたいになり、最後には、災害映画みたいになる。これがとっ散らかって感じるのは、ラドンの存在感が弱いからだと思う。


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