『イニシェリン島の精霊』ネタバレ?

 『イニシェリン島の精霊』について、町山智浩さんが話してました。
 町山智浩の映画評は深読みすぎて私は好きです。何と較べてかというと、宇多丸さんのに較べてってことなんだが、宇多丸さんのはランダムに評する作品を決めるゲーム性が、良くも悪くも、逃げを担保してる分、やっぱりだんだん面白くなくなってくる。
 やっぱり、評する映画を自分で決めないと、体重の乗った批評はできないと思う。もちろん参考にはなるけれど。
 町山智浩さんは、『イニシェリン島の精霊』のあの2人が、潜在的なゲイだという。
 監督が恋愛についての映画だと言っていると言われるとぐうの音も出ないが、でも、どうなんだろう?。潜在的で本人同士も自覚のない同性愛なら、それは単に友情でよくない?。
 たとえば、『雨月物語』の「菊花の契り」をわざわざ同性愛的と言い換えなくてよくない?。潜在的な同性愛だろうが、友情だろうが、指を切り落とすのは異常に違いなく、男同士の友情を潜在的な同性愛と言い換えてみても特に説得力も増さない。
 といいつつ、たとえば、ロバが指を喉に詰まらせるなんて、現実にあるかどうか。警察署長の息子が死ぬのは何故かとか。町山智浩説だと確かに解ける。いずれにせよ、そういう視点を提示してくれることで映画に味わいが増すのは間違いなく、映画評論家としてまさにあらまほしい。
 それと、コリン・ファレルについての情報も面白かった。コリン・ファレルについては『アフター・ヤン』という映画を去年観た。坂本龍一が音楽を担当している。監督はコゴナダという人で、この名前は小津安二郎映画の脚本家野田高梧から取ったという小津リスペクトの人。『アフター・ヤン』は、小津安二郎というより手塚治虫みたいだった。
 『イニシェリン島の精霊』については、佐久間宣行さんもラジオでおススメしてたけど、万人向けではないと言ってた。同じ番組のスタッフのサイトウさんはピンと来なかったと言ってた。確かに、『スリー・ビルボード』の直説さは後退している。なので、どうしてもメタファーとして、これは何を意味してるんだろうと考えたくなる。
 アイルランド本土で戦われている戦争が、この映画の中で「考える人」と呼ばれているふたり、コルムとシボーンに影を落としている。内戦がやがては島のコミュニティにまで影響を及ぼすだろうことをふたりは感じ取っている。このふたりに精神的な鬱として起こっていることが、やがては現実的なコミュニティの亀裂となってあらわれるだろうとふたりは感じ取っている。
 だから、このふたりはコミュニティの外へ出ようともがく。シボーンは空間的に。コルムは時間的に。でも、時間的に外に出る、つまり、歴史に残るってことは現実には島に残り続けるってことなので、コルムの中では葛藤があり続ける。それが自傷行為につながるのは納得できる。
 そういう強い鬱の雰囲気を私は見てしまったのだけど。


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