『アドルフに告ぐ』

 『ヒトラーのための虐殺会議』を観た勢いで、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を読んだ。ヒトラーと同じアドルフという名前の2人の少年の生涯を描いたフィクション。
 ちなみに今はアドルフという名前を我が子につけるドイツ人はひとりもいないらしい。『お名前はアドルフ?』というドイツのコメディ映画があって、わが子にアドルフという名前をつけると、結局冗談だったんだけど、それで一悶着起きる。ということはドイツにアドルフって名前の人はほぼいないってことなんだろう。
 考えてみるとすごい話。だって、デーモンなんて名の人はいっぱいいるわけだから、アドルフはデーモンより忌まわしいってことになる。
 このマンガのアドルフは、ひとりはユダヤ人、ひとりは日独のハーフ。どちらも幼少期を神戸で暮らした幼なじみ。その頃の神戸は手塚治虫が実際に暮らした町だから、その辺のリアリティがストーリーを支えている。
 ヒトラーに限らず、近現代の戦争をフィクションで描くのはなかなか難しい。『ヒトラーの虐殺会議』でもわかるのだが、現実が軽々とフィクションを超えていくので、並大抵のフィクションでは太刀打ちできない。
 その部分を手塚治虫自身の戦争体験とドイツとイスラエルの歴史を長いスパンで捉えることでストーリーに寓意性を与えることに成功している。
 焦点となっているのは、ヒトラーが実はユダヤ人の血を引いていたっていう設定なんだけど、これは常々疑問に思ってきた。アーリア人がどうのこうの言うわりに、ヒトラー自身は、黒髪、瞳も黒、背も高いようには見えない。ユダヤ人であっても驚かないけどなと思ってきた。
 ところがこれは禁句らしいね。イスラエルの側から猛反発が来るらしい。去年、ロシアのラヴロフ外相がその発言をして大炎上していた。
 でも、ちょっと考えると変なんだよね。人種差別が問題ならヒトラー個人がユダヤ人であろうとなかろうと、彼の行為の評価に何の影響もないはずなんだ。問題の根深さがよく分かる。
 『アドルフに告ぐ』が大名作かどうかは、扱ってるテーマがテーマだけに断言しづらいが、この視点は、差別、被差別の両方の側に立っている日本人の作家だからこそ持てるものだなと思う。
 その意味で、このフィクションは力を持っている。手塚治虫って人はやっぱり巨匠なんだな。

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