『ベネデッタ』

 修道院とは、現実にはどんな場所なのか、うまく想像できない。というより、つい想像をたくましくしてしまう。
 ココ・シャネルが少女時代を修道院ですごしたエピソードは有名だが、一方で、そのエピソード自体がココ・シャネルの作り話だという説もある。
 そんなふうに修道院って場所は昔から何かしらのイメージを喚起する小道具だった。アベラールとエロイーズのようなセックススキャンダル(と言って悪ければロマンス)の舞台にもなった。その一方では『あなたを抱きしめる日まで』に描かれている修道院は、私生児を産んでしまった娘を放り込む、家族や地域の厄介ごとを隠す場所でもあった。
 修道女と聞いて私が思い出すイメージはベルニーニの《聖テレジアの法悦》である。

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 聖テレジアは16世紀の人で、その「法悦」とは
「私は黄金の槍を手にする天使の姿を見た。穂先が燃えているように見えるその槍は私の胸元を狙っており、次の瞬間槍が私の身体を貫き通したかのようだった。天使が槍を引き抜いた、あるいは引き抜いたかのように感じられたときに、私は神の大いなる愛による激しい炎に包まれた。私の苦痛はこの上もなく、その場にうずくまってうめき声を上げるほどだった。この苦痛は耐えがたかったが、それ以上に甘美感のほうが勝っており、止めて欲しいとは思わなかった。私の魂はまさしく神そのもので満たされていたからである。感じている苦痛は肉体的なものではなく精神的なものだった。愛情にあふれた愛撫はとても心地よく、そのときの私の魂はまさしく神とともにあった。」
といった体験のことを指している。
 女性の性があまりにも抑圧されていたため、性的体験が宗教的体験に出口を求めざるえなかった。だからと言ってこれが宗教的体験ではないというつもりもない。そもそも「奇跡」や「聖性」に何の意味があるのか?。芥川龍之介が「西方の人」に書いているけれど、「クリストは奇蹟を行ふ度に必ず責任を回避してゐた。
「お前の信仰はお前を瘉した。」」。
 人を救うのが奇跡であって信仰でないなら宗教のていをなさない。
 いったいどこのどんな人が奇跡を信じたり待ち望んだりするだろうか。
 奇跡を待ち望む人がいるなら、それを提供する人は宗教家と言える。その意味では、ベネデッタの奇跡も奇跡なのである。
 ベネデッタは実在の人物で、この映画の大筋はほとんどWikipediaの記述どおり。
 「バルトロメアは、ベネデッタがスプレンディテッロとして知られる男性の悪魔の霊に取り憑かれている間、彼女と一緒にフロッタージュを行ったと証言」した。
 フロッタージュはマックス・エルンストの独擅場だと思っていた。確かにマックス・エルンストもこすりあわせるが、エルンストが紙と鉛筆で行うことを、バルトロメアはベネデッタといっしょに行った。
 バルトロメアが「愛情にあふれた愛撫はとても心地よく、そのときの私の魂はまさしく神とともにあった。」と証言してもよかったはずである。
 降って18世紀の詩人バイロンワーズワースは実の姉妹との近親愛で知られている。この時代の貴族に近親愛が多かったのは、貴族は学校に行かず、思春期を兄弟姉妹とだけ過ごしたからだろう。
 修道院で日がなほぼ同性とのみ暮らしていれば愛の対象が同性になるのはごく自然なことだろう。
 それよりもなぜ禁欲が必要とされたのか。
 吉田健一はチャタレー事件の弁護側の証人にも立った。彼の『ヨオロッパの人間』で「猥褻」についての一文を読んだ時はこれに思いが至らなかった。
 吉田健一が19世紀のヨーロッパについてどう書いているかは今は繰り返さないが、ヴィクトリア道徳に支配された当時流行った、ベルナルダン・ド・サン・ピエールが書いた「ポールとヴィルジニー」という小説は、二人の乗った船が難破して、ポールはヴィルジニーを救おうとするが、その時のポールが上半身裸だったので、ヴィルジニーは、男の裸を見るより死を選んだって筋書きだそうだ。吉田健一は「こういうのを猥褻と言う」と書いている。
 これを読んだ当初はアイロニカルな意味に捉えていたけれど、ポルノ小説を読んでいると、実に、猥褻とは禁欲であることがよくわかる。
 例えば、御堂乱の「拷問室」。

噛みしめた夫人の唇が開き、笛のような高い悲鳴がほとばしった。
 驚くほど硬くしこり、屹立してしまった乳首を、辛島の舌が襲ったのだ。
 「ああっ、そんな・・・・・・そんなのはいやですッ!」
舌で舐めるなどという不潔でいやらしい行為は、愛する夫にすら許したことがない。夫人は驚愕し、狂気したようにかぶりを振った。上体を激しくくねらせて、辛島の唇を逃れようとする。艶やかな黒髪が布団の上で乱れ舞った。
「いやッ、いやですッ。ああッ、いやらしい真似はやめてッ」

 この禁欲こそまさに猥褻だとわかる。
 

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