『碁盤斬り』ネタバレ

 白石和彌監督の『碁盤斬り』の原典である落語「柳田格之進」は、キャストの1人でもある立川談慶によると、彼の師匠の立川談志は「今の時代には合わない」と嫌って、生涯やらなかった噺だそうだ。
 YouTubeにいくつも上がってる中で古今亭志ん朝のものを聴いてみたけれど、なるほどちょっと首を傾げるところがある。娘を苦界に沈めながら本人は復職して立派になってるのが「?」だし、噺のなかでいちばんの悪役の番頭と娘が結婚するのもめでたくない。
 なわけで、どういうわけでこれを今さら映画にするんだろうと思いつつ、草彅剛の引きに抗えず観に行った。
 それで、なるほどと思ったのは、加藤正人の脚色で、娘の絹さんの心情に無理がなくなっている。悪役の番頭と絹さんの恋人を2人に分けている。また、柳田格之進の汚名返上の過程を丁寧に描いてそこをドラマのハイライトにしている。
 考えてみれば、元の落語がドラマの本筋をそこに持っていかず、さらっと流しているのは、それは落語が落語たる所以でもあるか、落語の方は柳田格之進が碁盤を斬るところがクライマックスで、この噺が成立した当時の聴衆はそれで納得したんだろうと思う。
 というのは、聴いていたのは武士ではなく庶民なので、つまり、首を斬られる側が聴衆なので、武士や武士の娘がどうなるかは、けっこうどうでもよかったのだろう。
 そういうわけで、柳田格之進を主人公にすると、元の落語では核心がズレてるものを、本来のドラマツルギーに戻してリライトして、映画的に仕上げている。
 ただまあそのおかげで別のおかしなところも出てきてはいる。柳田格之進が実直すぎたおかげで不正を働いていた武士たちが職を失ったことが、何か悪いことみたいに描いているが、これは時代背景を考えると、武士は、懐具合はともかく、やはり特権階級なので、その特権階級の不正を許さない柳田格之進の気概は、特に江戸落語の気風としては揺るがせられないところではなかったのかなと思った。たとえば『井戸の茶碗』に見られるような潔さが江戸の人たちの生活の無意識の規範になっていたし、それが江戸落語の魅力であり続けているわけなので。
 その意味では、柳田格之進が処断した不正がどの程度のものだったかにもよるけれど、武士としての柳田格之進の心情は果たしてどうだったかなと思わされた。特に、自民党の裏金問題が政界を揺るがしている今のタイミングだと、変な雑音に聞こえてしまう。
 ただ、斎藤工が「盗んだ狩野探幽はとっくに金にかえて、お前がクビにした家族に配った」と言ったときは、柳田格之進がホッとしたのがわかったくらいだから、脚本がよくできてたのは確かだと思う。
 関係ないのは百も承知で言うと、彦根藩っていう家康以来の譜代大名で、狩野探幽っていう幕府御用絵師の最たる絵師の絵を盗むのはそうとうな大罪だと思う。売り捌けるかどうかちょっと疑問に思った。円山応挙とか西の絵師ならなんとかなると思うが、これはまあ全く余計な話だけど。