今年のGW、京都国立博物館でやってた雪舟展で雪舟の国宝《慧可断臂図》を観た。
村上隆の《慧可断臂図》は、風神雷神図と並んで、これも京都らしいモチーフと言える。
ともに
という、これも新作が展示されていて「古都」ってキーワードと風貌から一目で川端康成とわかるのだけれど、《慧可断臂》に引っ張られて、「何で川端康成が慧可の片腕を持ってんの?」と、通り過ぎただいぶ後で、川端康成の短編に「片腕」があったのを思い出した。
こういうのを描いちゃうのはペダンティズムと言うより、川端康成の中でもこのへんてこな短編を選んでしまうのが村上隆の作家性を示している気がして興味深い。
あまりにも遠い連想だけれど、達磨に弟子入りするために自分の腕を切り落とす慧可より、川端康成の妄想の方がよほど共感しやすいのもほんとのところだと思う。
禅ってのは、今私たちがそれから受ける印象とはずいぶん違ってた時代もあったみたいで、以前紹介した大燈国師のエピソード(恩愛を断つために2歳の我が子を串に刺して炙って食った)は、かなり怪しいんじゃないかと思うようになった。林羅山が書いてることだし、儒家として仏教僧を貶める意図があったかも。
ただまあ、達磨大師にしたところで面壁九年で手足が腐ったとか、そもそも釈迦が苦行を捨てて悟りを開いたのに、この辺りでまた苦行戻りしてるみたいなのには疑問を感じる。
腕を切るとか手足が腐るとかは、仏教というより、ピアッシングとか自傷行為なんじゃないだろうか?。
「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」という儒教道徳に対する反発なんじゃないか、っていうのは村上龍の受け売りか。