『愛に乱暴』ネタバレ

 吉田修一原作の映画化作品は、『悪人』、『横道世之介』、『さよなら渓谷』、『怒り』、『湖の女たち』と観てきたけれど、今回の『愛に乱暴』は、いちばん小説の痕跡が見えない気がする。SNSの使い方が見事で二転三転ミスリードされた。が、あの描写は小説よりも明らかに映像向きだと思うし、桃子(江口のり子)が奈央(馬場ふみか)のアパートを去るシーンも、全然小説的でないので、森ガキ侑大監督はかなり原作を咀嚼してるだろうと思った。吉田修一は、『悪人』の映画化にあたって自分でラストを書き換えた人なので、その辺に理解があるだろう。
 小説にはビジュアルが存在しないわけだから、映画の原作が小説であることはそれがマンガである場合と大きく違う。例えば、こないだの『めくらやなぎと眠る女』は『化け猫あんずちゃん』と同じ手法のロトスコープを使っているらしく見えたが、もしそうだとしても、原作がマンガか小説かでその創造性の価値は大きく違う。
 原作小説を読んで映画を観ると、観客の中では優劣、勝ち負けがはっきりつく。例えば『蜜蜂と遠雷』の場合は映画の完敗。逆に、『ドライブ・マイ・カー』や『きみの鳥はうたえる』は映画の勝ちだと思った。
 ゼロイチで物語を紡ぎ出した原作の地位は揺るがないが、すでに存在している作品を映画という新たな文体で語り直そうとするかぎり、そこに何らかの意図が存在しなければ、何のためにそんなことするの?って話になる。
 結局『セクシー田中サン』の場合は、売れてるマンガを原作に視聴率稼ごう以外の意図はなかったことが問題だっただろう。『セクシー田中サン』の芦原妃名子に対する日本テレビの態度は、まるで娼婦に対する客の態度のように見えた。原作にリスペクトがあるなら、どんな改変も、原作者もそれを楽しめるだろう。愛のないセックスと同じく、リスペクトのない改変はレイプである。
 話がだいぶそれたが、『愛に乱暴』は、実は、観終わるまでオリジナル脚本かと思っていた。低予算っぽい規模感がいかにも自主制作映画だったが、それより何より長編小説を映画に落とし込んだって無理がぜんぜん感じられなかった。アイデアとキャラクターの骨格がシンプルでしっかりしている。
 それにロケーションがあまりにも見事で、あの母屋と離れからストーリーを考えたのかと思いたくなるほど。母屋が姑の風吹ジュン、離れが嫁の江口のり子のそれぞれの人格であるかのような、そういう見事なロケーションだったと思う。
 この2人を繋いでいる小泉孝太郎も素晴らしかった。監督のインタビューによると、このオファーを持ち込んだ時の小泉孝太郎は「待ってました」って感じだったそうだ。
 不倫体質って意味では、『まともじゃないのは君も一緒』もそうだったが、あの時の陽キャな感じと対照的に今回の陰にこもった感じは、同じ不倫男でもこうも違うかっていう。実に重要なキャラクターなんだけど、江口のり子に対しても、風吹ジュンに対しても、何なら馬場ふみかに対しても脇役に徹しなければならない。ただただ女たちに翻弄されているようでもあり、ひたすら身勝手のようでもある。やりがいのある難しい役どころだったと思う。
 この辺りから完全にネタバレに入るんだけど、さっきも書いたようにSNSの使い方がすごくうまくて、不倫の顛末をリアルタイムで投稿してる女がいる。その投稿を桃子(江口のり子)が見ている。
 あーあ、旦那の浮気バレてるわ。と、観客はそう思ってる。ところが、話が進んでいくと、「あれ?」ってなる。これ違うかも。この投稿してるバカ女、馬場ふみかじゃないかも。ってなるあたりのドキドキ感はネタバレなしで経験してもらいたいよ、ほんとに。怖い。
 何が怖いかって、妻子ある男との恋愛を楽しんでた(としか見えない)頃の自分が、今、他者の姿で報復してきている。
 過去に無自覚に犯した罪の報いを受けることほど恐ろしいことはない。夏目漱石の『夢十夜』の第三夜の恐ろしさだ。背負って歩いている我が子が突然自分の過去の罪を語り始める。
 桃子の流産がかなり後半に明らかになるのも怖い。予告編がエキセントリックなシーンで綴られているので、もっと寓話的なものを予想していたけれども、いい意味で裏切られた。「私ね、おかしいふりしてあげてるんだよ。」ってセリフが予告編にあるけれど、むしろ、それまでの桃子が幸せなふりをしていただけに見える。その幸せなふりの相手役として真守(小泉孝太郎)が選ばれたにすぎない。
 真守は、母親(風吹ジュン)に対しても、桃子(江口のり子)に対しても、そして、おそらくは(もしかしたらこの人だけは違うかもしれないし、そう願うが)奈央(馬場ふみか)に対しても、求められた役割を演じているにすぎない。
 そして衝撃のひと言(だと思ったけど)「桃子が楽しそうにしてるほどつまらない」と言って去る。桃子が必死に装い続けている見せかけの幸せにうんざりしている。その必死さの根っこに死んだ子の存在があり、それが映画的なビジュアルとして床下にあるのが、すごくうまいし、すごく怖い。
 風吹ジュンの姑もステレオタイプではなく、どこか冷めた感じがすごく新しいと思う。3年前に連れ合いを亡くしているという設定もすごく効いている。そういう母親の視点が、真守と桃子の傍にずっとあり続けているのが実は効いている。
 江口のり子の映画は、今年だけでも『あまろっく』、『お母さんがいっしょ』と観てきたが、これらの二作品もよかったけれど、今回の『愛に乱暴』はレベルが違う。
 これはたぶん江口のり子の代表作になると思うのだけれど、彼女だけでなく、風吹ジュン小泉孝太郎にとってもキャリアを語る作品になるに違いない。メインキャストが3人とも出色の出来っていう映画はなかなかない。必見だと思う。

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