今年は京都で大規模な村上隆の個展も見たけれど、村上隆、奈良美智、会田誠、鴻池朋子、名和晃平、山口晃、加藤泉、などなど、今、押しも押されもせぬ大家になられた作家たちのビッグバンとなった展覧会は、2009年に開催された「ネオテニー・ジャパン」だったと思う。
初めてダウンタウンを見た衝撃を忘れないように、ネオテニー・ジャパンのワクワク感は今も忘れられない。フランスをジャポニズムの渦にまきこんだ19世紀末のパリ万博、後の西洋絵画のあり方を決定づけた第一回印象派展、ピカソがアフリカの彫刻を見たトロカデロの民俗博物館、美術史上で事件と呼ばれる展覧会は数少ないが、ネオテニー・ジャパンは、そんなひとつに数えられてよい展覧会だった。
「ネオテニー・ジャパン」という命名も含め、このとき展示された作品のすべては高橋龍太郎氏個人のコレクションだった。
「ネオテニー」とは「幼形成熟」と訳される言葉で、ひとつの例としてはウーパールーパーで、あいつはサンショウウオが幼形を保ったまま性的に成熟したものなのだそうだ。そのような変態過程をユリウス・コルマンてふ学者が「ネオテニー」と命名した。高橋龍太郎によると「ネオテニー」という概念を一躍有名にしたのは、1925年、ボルグの行なった講演で、彼は、人類は類人猿のネオテニーであると主張したのだ。
それを踏まえて高橋龍太郎は日本の今のアートシーンを「ネオテニー」と呼んだ。村上隆の「スーパー・フラット」も射程の長い歴史観だが、「ネオテニー・ジャパン」は、それよりさらに包括的な美術史観だと言えるだろう。
2009年の展覧会見逃した方は是非東京都現代美術館へ。2024年11月10日までやってるそうです。
↓これはネオテニー・ジャパンの図録。
塩田千春はまさに今中之島美術館で個展が開催されている。
↓これは2019年に森美術館で開かれた展覧会の図録。
会田誠のこれはあまりにも有名でもう観た気になっていたが、こんなに大きいとは知らなかった。ということは実物は初めて観たらしく思われる。
会田誠といえばミヅマ・アート・ギャラリーだが、2006年に訪ねた頃はまだ雑居ビルの2階だったのに、今はお洒落な建物に建て替わっている。何かウフフと思っちゃう。
加藤泉はワタリウム美術館の展覧会で自身を彫刻家ではなく画家だと思っていると書いていた。
絵も観てってことなのかな。
村上隆の原点にこういうのがあるのが今では不思議にさえ思える。この人が世界のアート・マーケットで成功したいと願う根っこの部分に独特な歴史感覚があると思う。日本のアーティストは、この人ほどには誰も世界を意識してないのではないか。というか、そういう「俗事」に関わりたくない人がアートに向かう場合が多いと思うのに、この人の場合は世界に向かって蟷螂の斧を振り上げてる感がある。
ちょっと話が変わるけど、上野の東京国立博物館で「没後100年・黒田清輝と近代絵画の冒険者たち」という小特集がやってる、10月20日まで。
そこに
が展示されている。
村上隆はこのオマージュもしていた。川端康成の「片腕」と同じく、なぜこれなのかはすごく不思議。なぜ黒田清輝なのか。黒田清輝としてもよりによってなぜこれなのか。この辺りに村上隆のセンスの不思議さがあると思っている。
例えば、横尾忠則に、なぜターザンなのか、とか、なぜ三叉路なのか、とは思わない。村上隆の場合も、風神雷神図屏風や曾我蕭白はなぜ?とは思わない。ところが黒田清輝のしかも『智・感・情』だと「?」となる。
上野つながりだと
と
もあった。
この3月に国立西洋美術館でやっていた「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?—国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」というあの美術館としては珍しい現代美術の展覧会で、最も興味深かったのがこのふたつ(弓指寛治と梅津庸一)だった。これはネオテニーとはまた文脈が違う。
また、村上早があるのも嬉しかった。