カナレットとヴェネツィアの輝き SOMPO美術館

 ヴェネチアには1平方メートルの土地もない。そんな場所は世界に北極とヴェネチアしかない。遠浅の海に打ち込んだ杭の上にすべての建物が立っている。
 そんな海上の楼閣都市ヴェネチアが一時は独立国として隆盛を極めたについては、私たち日本人はとくに考えてみる価値がある。
 しかしながらヴェドゥータ(景観画)の巨匠カナレットが描いたヴェネチアを通して見てみると、ヴェネチアの美しさは絵画に尽くされることはなかったのだと思う。ヴェネチアの風景が取り立てて美しいわけではなく、ヴェネチアで営まれている人々の暮らしが私たちを惹きつける。つまり、ヴェネチアは風景画よりははるかに風俗画が似つかわしい。仮面舞踏会に興じる男女。狭い水路で舷側をぶつけ合うゴンドラ。つまりはそうしたことがヴェネチアであって、ヴェネチアの風景画として記憶に残っているのは、ヴェネチアを正確に描かなかったターナーだけかなとも思った。
 モネの《サン・ジョルジョ・マッジョーレ、黄昏》も確かに美しいのだけれども、モネの凄みは、ヴェネチアだろうが何だろうが、この世の万象すべてを網膜に映る印象に還元してしまえるところだ。モネにとってはそれがヴェネチアだろうが日本だろうが、それがその一瞬に見せる色彩だけがすべてなのだった。
 それが印象派そのものなのだし、それでいいのだが、ヴェネチアに思い入れのある人なら、この夕日に沈むヴェネチアの奥にもっとディープなヴェネチアがあるはずだと思いたくなるはず。網膜に映るヴェネチアを絵という姿に変換する以上、そこに網膜以上の何かを人は求めたくなる。
 今回の展覧会には

カメラ・オブスキュラカメラ・オブスキュラ
カメラ・オブスキュラ

 
の実物が展示されていた。じっさいにのぞいてみると

肉眼ではこう見えるもの

が、

カメラ・オブスキュラでは

こう見える。
 カメラ・オブスキュラには色々な種類があって
「部屋の鎧戸などに取り付け、暗室化した室内に映像を映し出すためのサイオプトリック・ボールというもの」
もあったそうだ。
 デビッド・ホックニーはカラヴァッジョはこれを用いただろうと推測していた。カラヴァッジョはあれほど精緻な作品を残しながら、全くデッサンが残っていないことを傍証にあげていた。
 私は常々疑問に思っていたのはプラトンイデア論を譬えた「洞窟の比喩」に登場する「影」は、ただの影ではなく、こっちだったんじゃないかってこと。なぜなら普通の影なら洞窟に限定する意味がないから。普通の影なら洞窟より屋外の壁の方が鮮明なはずだし。
 少なくとも、もし、ソクラテスがこれをプラトンに語っていたのだとしたら、ソクラテスはこっちのイメージだったかも。まあしかし何の根拠もない。エーゲ海の陽光激しい海辺の洞窟ならこれはあり得たのかなと思っただけ。
 西洋絵画の写実性の高さが、彼らのルーツが古典古代の昔からそもそもカメラだったとしたら面白いなと思っただけである。

ウジェーヌ・ブーダン《カナル・グランデ、ヴェネチア》
ウジェーヌ・ブーダンカナル・グランデヴェネチア

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