映画『西湖畔に生きる』は、『春江水暖』のグー・シャオガン監督、何と弱冠36歳の作品。多分、『春江水暖』は、三部作になると言われていたので、これは第二弾と考えてよいのか、原題は『草木人間』と漢字四文字で統一している。
舞台となった西湖は松尾芭蕉が「奥の細道」で松島を訪れた時に「松島は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭・西湖を恥ず」と書いたあの西湖だし、主人公の名前「目連」は釈迦の十大弟子の一人そのままの名前。ちなみに目連は「仏説盂蘭盆経」には死後餓鬼道に堕ちていた母親を救ったと書かれていて、これが現在のお盆の起源とされている。
つまりは、こういうお膳立てを見るに、この監督が東洋的な一般教養に基づいて映画を作っている人だとわかる。それもごく一般的な教養で、「目連って何?」みたいなことは「お前ほんとに日本人か?」くらいの知識だったはずだが、今って時代はそれを知らない人がいても別に恥ずかしくもないこともまた重々承知している。
その感覚もおそらくグー・シャオガン監督も共有しているはずで、そういう東洋的な教養が急速に失われてきている、そういう時代感覚が共有できるという意味で、新しい感覚の中国人監督だと思っている。というのは、ウォン・カーウァイ監督には東洋的なルーツは見えないし、チェン・カイコー監督はまったく東洋的。東洋なんだけど、それが失われていくよなって感覚。その生活者の実感が作品に反映されてる監督が、案外いそうでいなかった気がするので。
今回の主人公の名前が「目連」なのには理由があって、西湖畔の茶畑で働きながら自分を育ててくれた母親がマルチ商法に引っかかっちゃったのを何とか救い出そうとするのがこの主人公だからだ。
『春江水暖』も中国の発展と喪失がバランス良く目配りされていたと記憶するが、今回はむしろダークサイドに寄っていて、明るい未来は想像しがたくなっている。そもそもこの映画は、『春江水暖』の撮影中に監督の家族の一人がねずみ講に引っかかったって実話から来たものだそうだ。
そのせいかどうか、ちょっとマルチ商法の描写の比重が高すぎる。主人公自身も大学生は出たもののろくな就職先がなく、詐欺まがいの仕事に嫌気がさして辞めるのだけれど、そういうマルチとかじゃない真っ当と言える暮らしがほぼ出てこない、そのバランスが「大丈夫か?、中国」って気になるし、映画としても一面的な感じがする。
これが『春江水暖』と合わせて三部作なら、第3作はどうなるのだろうかと考えてしまう。日本に居を構える富裕層の移住者たちとか描いてくれたら面白くなりそう。