『国境ナイトクルージング』『アメリカン・フィクション』ネタバレあり

 『国境ナイトクルージング』の英題は『The Breaking Ice』。中国の北朝鮮との国境付近、延吉という街で出会った3人の若者の数日の出来事を描くのけれど、そんな田舎町ながらそれなりの享楽的なナイトライフがあり、高度成長を経た後の経済格差があり、若者のよるべなさがあり、そして、そうした閉塞感の癒しを自然に求めるあたりまで含めて、まるで80年代の日本の自主作映画みたいな雰囲気。何ならちょっと村上春樹的な世界を狙ってるのかと疑いたくなる。
 CGの熊が出てきた時は、「実はこれ峻厳な雰囲気のはずなんだよな」と思った。作り手の意図がわかるとやっぱり白ける。冬眠中のクマのはずだから、本来はすごく危険なはずだが、チョウ・ドンユイ演じる元フィギュア・スケーターの怪我をした足首に触れるだけで去っていく。彼女の恩師が亡くなったという情報が先に与えられているので、その化身が熊になって現れたととれなくもない。
 しかし、その熊をCGに決まってると思いながら見ている21世紀の映画鑑賞者はそれでは感動できない。CGの技術が発展しまくったおかげで、特異なことであればあるほど、メタ的な視線になっちゃう。没入感が阻害される。21世紀の観客はCGに呪われてる。
 現代の作家は、CGがないというていで映画を見てくださいとは言えないはずだ。ゴジラがCGなのはよい。ゴジラは初めから架空の存在で元々映画の中にしかいない。しかし、熊がCGだと白ける。クマがCGならテッドまで行ってくれないといけない。考えてみればおそろしい話ですよ。でも、もう後戻りはできませんし。
 で、日本人からすると何とも古めかしい、ある意味ではなつかしい感じのする映画ではあるが、一方で中国の閉塞感が30年遅れくらいで日本を後追いしてる感が怖くもある。中国は日本と規模が違う。中国が日本みたいな勢いで経済後退したらどうなるのか。深圳日本人男児刺殺事件なんかはどんづまりの末に外国人にストレスをぶつけるという、日本なんかでは「右傾化」と呼ばれている現象のほんの始まりであるように見える。
 中国の富裕層はステルス的に日本に移住してきているって話もあり、その先は、「右傾化」した日本人との軋轢も予想でき、この先は読みづらい。
 映画そのものというより、こういう映画を作ってしまう今の中国が心配になった。
 『アメリカン・フィクション』は、とっくの昔に見ていたのだけれども、そして、面白かったのだけれども、「そのフィクションはどういうフィクション?」ってなって保留にしていたところ、町山智浩が言うには、アメリカ黒人社会の貧困率は日本社会のそれよりずっと低くて、その意味ではアメリカの黒人は日本人よりずっと裕福なのだそうだ。
 その前提があると、この『アメリカン・フィクション』の皮肉がよくわかる。つうか、その前提を知らないと、何のことだかわからない。「black lives matter」を目の当たりにしてると、黒人っていまだに綿を摘みながらブルースを歌ってるって思っちゃう。その頃と同じように黒人をリンチで殺してる白人は、だとすると、相当やばい。
 で、今になって『アメリカン・フィクション』を思い出したりするのは、今の中国、今のアメリカをわからないと理解しづらい映画もあるよなって思ったからで、先日の『西湖畔に生きる』もそうだけど、映画を通して今の中国が窺えるのかなと思うわけ。
 今、日本に移住してきている中国人のドラマを切に観てみたくなった。これ、この前もそう結んだんだったけど、ますますそう思う。


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