普段は非公開な二条城の台所や御清所で、ドイツのアーティスト、アンゼルム・キーファーの展覧会「ソラリス」が開催されている。
京都には非公開な場所が多い。まぁ、私邸は非公開なのは当たり前なので、「公開されるべきなのでは?」と疑問を持たれる場所が多いというべきかも。
例えば、東京国立博物館の常設展は所蔵品全ての撮影が許されているのに、京都国立博物館は一切許されない。同じ国立博物館でこの差は確かに疑問を感じる。
神社仏閣は宗教法人なんだろうから、公開非公開の差を決めている主体がわかりやすい。しかし、二条城は史跡であって、ヨーロッパに多くあるような、歴史的な背景を持った公園で、誰の私物でもない「公」の意味について考えさせてくれるこういう歴史的公園の価値は大きいと思う。
厳密にいうと二条城という場所は徳川家康がこれを造営した最初から公の場所だった。一般公開されたのは1939年だそうだが、それまでもそこが私的な場所であった事は一度もなかった。
公開されていようがいまいがここは公の場所だった。そこにしつこくこだわりたいのはアンゼルム・キーファーがヨーゼフ・ボイスに師事しているからだ。
ヨーゼフ・ボイスは彼のアートを「社会彫刻」と呼んだ人だった。社会という木材に鑿を入れることが彼にとってのアートだったという意味で、ヨーゼフ・ボイスにとってのアートは公の行為だった。
アンディ・ウォーホルがthe factoryと名乗って、積極的に消費社会を肯定していったポップアートのシーンとヨーゼフ・ボイスとフルクサスは徹底的に違う。
アンゼルム・キーファーの作品が、二条城の普段は非公開のスペースに設られて公開される事は意義深いことだと思う。
美術館ももちろん公の場所ではあるけれど、美術館は、アート作品を公開する機能の面から公であるにすぎないのに対し、二条城は歴史がその公の意味を決めている。
社会がこういう公の場所を必要としてきた歴史的な必然を、自身の作品の場として選ぶことが、まずはアンゼルム・キーファーのアートそのものだと言えると思う。

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この作品のタイトルに採られている俳句は、江戸後期から明治にかけて活躍した歌人であり陶芸家であった尼僧の大田垣蓮月のもの。大田垣蓮月は、海外の現代アーティストに人気があるのか、アフロ民藝で知られているシアスター・ゲイツの展覧会でもオマージュが捧げられていた。

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モーゲンソー計画は、戦後ドイツに課されそうになった、いわば、ドイツ経済発展阻止計画だったそうだ。ドイツに対する警戒感があったのは当然だが、モーゲンソーというアメリカの当時の財務長官の心にも、資本主義の発展の行く末が軍事的な衝突に結びついて見えていたともとれる。
こういう作品を、大政奉還という明治維新の戦後処理が行われた二条城に展示するのが、アンゼルム・キーファーの感覚なんだろうと思う。
ヨセフの夢という旧約聖書のエピソードは文化的に遠すぎて感覚的には理解できない。

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このテクスチャーがアンゼルム・キーファーの刻印なのだろう。

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ダナエはギリシア神話の超美女のひとりで、ゼウスが黄金の雨に化身して降り注いだ。そういうわけでこの画題は多くの場合は官能的な女性のヌードとして描かれることが多い。

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これはアンゼルム・キーファーの作品ではないけど、ちょっと他では見られないと思ったので。
アンゼルム・キーファーに関してはヴィム・ヴァンダー監督のドキュメンタリーもある。
